「津軽」 小泊村は遠かった!

 

 最果ての地・小泊へ

ああ 津軽海峡冬景色~ と歌いたいところであるが、そんな歌など

生まれてもいなかった昭和40年代の中頃、わたしは一人で津軽海峡

目指して旅立った。向ったところは小泊。そんな地名をほとんどの

方は知らないであろう。太宰治の『津軽』を読んだ方なら、「ああ

あそこか!」と思い出すかもしれない。

幕末には、吉田松陰もここから竜飛崎に向ったところである。松陰

先生は、さぞ蝦夷地を見たかったのであろう。また、あのフォーク
 
歌手の三上寛はこの地の出身である。さらに吉幾三はここより南の

土地で産出されている。…そんなことはどうでもよいのだけれど。

 
小泊岬からは竜飛崎、それに北海道が遠く望める。

 

 

 

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 当時、東北本線まわりの「八甲田」という夜行列車に乗り、青森駅

までは10時間ほどかかったであろうか。常磐線まわりの「十和田」

を利用すれば1時間は短縮できた覚えがある。青森駅からは奥羽本線

に乗り換え、川部駅で再び五能線に乗り換え(待ち時間1時間)、ま

たまた五所川原津軽鉄道に乗り換えるのである(余談ながら週刊誌

の発売はこの駅では一週間遅れだった!)。

津軽鉄道には「ストーブ列車」などまだ無かったのか、乗り合わせた

覚えはない。

 

 

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 そして終点の中里駅で降り、今度はバスで小泊へ向かったものである。

バスの車内からは、荒涼とした景色を見ることができ、まるで最果て

の地に向っているような錯覚を覚えたものである。いったい上野駅

らどれだけの時間がかかったのだろうか。15時間以上はかかったので

はないだろうか。 

 

 

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  昔日の小泊村は遠かった。竜飛崎も遠かったが、むしろ小泊の方がずっ

と遠い。

わたしは小泊へは三度訪れている。旅館などありそうもない漁村と思っ

ていたのだが、たどり着いてみると村のメインストリートに旅館が一

軒、港の方に民宿が二軒あった覚えがある。旅館の方には二度宿泊して

いる。部屋にはテレビどころかラジオさえ無かった。廊下に二三年前の

週刊誌が本箱に並んでいたので退屈しのぎにそれを読んだ。二度目に宿

泊したときも、再びその本を読んだ。三度目の宿泊は、当日結婚式があ

るというので宿泊を断られたので、そこから少し離れたところの民宿に

泊まった。