上野駅から東北本線を走る夜行列車、十九時発「八甲田」に乗車し、
青森駅に朝早く到着したのは十時間ほど経ってからのことか。そこ
から又、ジーゼル機関車の曳く列車に乗換えて三厩駅に着く。さら
に駅前からバスに乗換えて竜飛崎へ向う。
竜飛崎の印象「飼いならされた風景」
三厩駅前から竜飛崎まで、バスで小一時間はかかったであろうか。
初めて訪れた竜飛崎は、わたしが思い描いたほど荒々しさは感じ
られなかった。青函トンネルの工事真っ盛りで、岬の山肌は削ら
れて新しい道路ができていた。あたりに樹林など見当たらなかっ
た覚えがある。岬の頂に登ってみれば北海道が見渡された。頂に
はやたら人工物が目につき侘しさが募るばかりであった。太宰の
言葉を借りれば「飼いならされた」風景である。竜飛崎はまさに
そんな印象の土地であった。当時は冬に竜飛崎を訪れる観光客は
さほど多くはなかったのだろう。土産物店は一軒も無かったし、
泊まる所といえば「太宰の泊まった旅館」と看板の出ている旅館
が一軒きりであった。
太宰の描いた竜飛崎
"ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない。
あとは海にころげ落ちるばかりだ。路が全く絶えてい
るのである。ここは、本州の袋小路だ。読者も銘記せ
よ。諸君が北に向って歩いている時、その路をどこま
でも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ
浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかの
ぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落
ち込み、そこに於いて諸君の路は尽きるのである。"
…『津軽』より