JR奈良駅から乗合自動車で三十分、浄瑠璃寺前の停留所へ到着する。
ほぼ満員の車内であったが、降車する者は思いの外少ない。この奥に
ある岩船寺を先に拝観するものと見え、浄瑠璃寺へ向かう者は数人で
あった。
浄瑠璃寺への道
「今日は浄瑠璃寺へ行った。ひるすぎに帰れるつもりで、昼飯の用意
を言いつけて出かけたのであったが、案外に手間取って、また案外に
おもしろかった。」
大正七年、二十九歳の和辻哲郎は奈良付近の寺々に遊びその印象を若
さ溢れるような文章でその印象を書きとめている。当時の道はでこぼ
こ道で俥(くるま・人力車)に乗っているのも楽ではなかった。奈良
坂へ帰っていい時刻にようやく浄瑠璃寺へたどり着いたという。
和辻の訪れたころとは打って変わり、ここへ来るには立派な道路を通
り、新興住宅街を左右に見て走ってきた。山深い山村を想像していた
私は軽く期待を裏切られた。
意外にも当尾(とおの)の里は開放感あふれる里であった。門前には、
cafeがある。蕎麦屋がある。土産物屋がある。さあ、浄瑠璃寺へ向か
おう・・・
山門を入ると正面に池、右手西側には九体阿弥陀堂が見える。
三重塔(国宝)
浄土信仰
この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返っ
て池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝であるとい
う。浄瑠璃寺に限らず、古来、人々は浄土の池の東から彼岸におら
れる阿弥陀仏に来迎を願って礼拝した。苦悩の多い現世、薬師仏に
(極楽浄土)へ迎えていただくということなのだろう。
三重塔内には薬師如来が安置されている。
九体阿弥陀堂(国宝)
憧憬の浄瑠璃寺
浄瑠璃寺を訪ねたのは、ある年の三月下旬であった。あと一週間
遅ければ桜の花も咲き出し、さぞ人出も多かったことであろう。
朝一番であったことも幸いし、参拝者は数名であったこともあり、
のんびりと撮影をし、また阿弥陀仏に願うことができた。次に訪
ねるときは、萩の花が頭を垂れるほどに茂ったころがよかろう。
それなら山里の小さな堂宇の雰囲気があじわえるのではないだろ
うか。
「しかし何よりも周囲と調和した堂の外観がすばらしかった。
開いた扉の間から金色の仏の見えるのもよかった。あの優しい
新緑の景色の内に大きい九体の仏があるというシチュエーショ
ンは、いかにも藤原末期の幻想に似つかわしい。」
和辻が『古寺巡礼』で書いているように、大正七年頃は扉が開
かれており、池越しに九体阿弥陀仏を拝むことができたようで
ある。
現世と浄土の間を分ける宝池。池泉回遊式浄土庭園の造りになっている。
唯ひとつ残る九体阿弥陀堂
西方九体阿弥陀如来像(国宝)は、中央に来迎印を結んだ阿弥陀如来
中尊像、その左右に各々四体の定印を結ぶ阿弥陀如来像が安置されて
いる。それぞれのお顔に違いがあるのが興味深い。ほかには国宝・四
天王像(持国天・増長天のニ体)。秘仏・吉祥天女像(重要文化財)、
子安地蔵菩薩像(重要文化財)、不動明王三尊像(重要文化財)など
を拝観することができた。
吉祥天女像のふっくらとしたお顔と着物の袖から出ているふくよかな
腕、色香を伴う艶やかなお姿には魅了された。その衣裳は壮麗としか
言いようがないほど美しい。“腹巻き”を巻いた地蔵菩薩の涼しげな眼
差しとそのお顔だち、彩色と胡粉地は大分剥落してはいるが、左手に
如意宝珠を持ち、右手に与願の印を結んだお姿を見ては胸にこみ上げ
てくるものがある。
また不動明王三尊像の左右に従っている二体の童子が愛らしく、つい
ブロマイドを買ってしまった。九体阿弥陀如来を取り囲むように須弥
壇の前に設えてあるお供え物を置く木製の台、これが古美術好きには
嬉しい。黒光りした木の感触、その凝った意匠、年月を経、日々手入
れを施されたたあじわいはここでしか見ることができない。見事であ
る。
浄瑠璃寺は真言律宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来と薬師如来です。
九体阿弥陀堂は京の都に数カ所あったが、ほとんどが戦などで焼け、
唯一浄瑠璃寺だけに残っている貴重な宗教施設だそうです。