連休明けの春の一日、閉じこもってばかりでは精神衛生上良くないので
外出してみた。染井吉野を楽しむには少し早いかな、という気はしたが、
哲学の道へ購入して間もないカメラを持ちだし、思索しながら撮影を試
みた。
想像していたとおり、まだ桜の蕾は ほころび始めたばかりだったが、な
かにはすでに満開の桜も見られた。休み明けのせいか観光客は少なく、
のんびりと写真撮影をすることができた。
哲学の道を北から南へ通しで歩くのは二十年振りのことか。
も現存してたり、こんな立派なお屋敷があったかな? という
景色もあった。時代を現しているのか、かつては立派な住居
であっただろうに、と想像させるような廃墟も見られた。
上の写真は「谷の御所」とも呼ばれた格式ある造りの霊鑑寺である。
歴代皇女が住職を務めた尼門跡寺院という。一度は拝観したいと思
っているのだが、今回も先を急ぐのでパス。
今回の目的地、同志社創立者 新島醸・八重夫妻の墓所を訪ねた。
のことを知り、一度は墓所を訪ねてみたいと思っていたのである。
今ごろかい! とお叱りを受けそうだが、なにせ年をとると出不精
になるもので…。
写真左側の茶色い鞍馬石風の墓石が八重の墓である。
贈られたスペンサー銃で戦っていたとは知らなかった。写真で
見る限り気の強そうな女性に見えたが、なるほどと様々な出来
事に思いを巡らし、納得がいった次第。
同志社墓所は山の頂にあり、若王子神社から徒歩で約ニ十分かかる。
猿やイノシシも生息する場所なので、女性の一人歩きはお勧めしない。
それにしてもこのような山中に墓所があるとは…。