奈良十輪院と入江泰吉写真美術館を訪ねて

 

さる年の春であった。久しぶりに京都北山の花脊を歩いてみようか、

と計画していたのだが、朝起きて空模様を見ていたところ、今にも

雨が降り出しそうな雲の動き。その上五月にしてはとても寒いのだ。

急遽予定を変更して、奈良町、高畑あたりを散歩してみようか、と

いつものごとく急展開の思いつき。


奈良へは電車一本で行ける気軽さ、昼食は三条通りのあすこの喫茶店

でフルーツサンドを食べてから十輪院と写真美術館へ行こう、と普段

の行動からは想像が付かない素早さで日程が組まれる。

 

 

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奈良町の通り

 

いつも奈良町方面へ行くには、近鉄奈良駅を出てアーケード街の

東向通りを南へ歩く。三条通りへ出たならすぐ東にある餅菓子屋

さんを右に折れ再び南へ向う。

この数年で奈良町は激変している。ごく普通の民家の門構えは減

り、cafe 、古道具店、土産物店、ギャラリーが軒を連ねるように

なった。外国の言葉が多く聞かれるようになり、以前のように寂

びた奈良町の風情は年々無くなりつつあるのが寂しい気はする。

 

 

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奈良町を西へ少し歩くと、もと元興寺の別院であったと伝わる十輪院

という小さな寺がある。ドイツの建築家ブルーノ・タウトが賞賛した

美しい寺院である。

 

 

 

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十輪院本堂

 

十輪院ブルーノ・タウト
奈良に行ったなら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優雅な

十輪院を訪ねて静かにその美を観照し、また近傍の風物や素朴な

街路などを心ゆくまで味わうがよい。とこう述べたのは、ドイツ

の建築家ブルーノ・タウトである。

 

 

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ドイツ語の会話が聞こえた。彼の国のガイドブックに十輪院

載っているのだろうか。

 

 

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タウトは日本の各地の建築物を見て歩き、実際に和風住宅に住んでもい

る。その観察眼は鋭い。飛騨の合掌造りの合理性、桂離宮の簡素優雅な

美しさ。等々・・・日本人が忘れかけていたものを掘起こしてくれた。

私は数年前から十輪院を訪ねようとして幾度も試みたのであるが、一度

も到達できなかった。今回ようやく境内に立入ることができた、それも

またまた迷いに迷って。

 

 

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簡素な造りの蟇股と木鼻

 

 

 

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大仏様の木鼻

 

 

 

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繊細な意匠の蟇股

 

 

 

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山号「雨宝山」の扁額

 

 

 

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本堂正面の障子と蔀戸

 

本堂は床の低い小規模な門跡寺院の様相に見えた。簡素な蔀戸

(しとみど)と正面の広縁がとても美しく、京都御所桂離宮

の建物に通じるものが感じられた。組物には胡粉以外、これと

いった色は見当たらなかったが、建築当初(鎌倉時代)は極彩

色に彩られていたのであろうか。


開基は古く奈良時代で、元興寺の一子院だったと伝わる。宗派

真言宗醍醐派、ご本尊は地蔵菩薩である

 

 

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簡素ながら美しい本堂の広縁

 

 

 

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本堂の東西には幅の狭い濡縁がある

 

 

 

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本堂の入口(正)は東北側(写真右手)にある。

 

 

 

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十輪院山門(境内より望む)

 

付近の見どころ

十輪院の近くには西酒造があり、ここはお酒好きには忘れては

ならない場所である。利き酒もでき、気に入ったお酒があれば買

うも良し。近年お酒(清酒)が欧米人に人気がでて、たくさん買

い込んでいる姿を見かける。

近くには今西家書院もあり、一般公開をしている。“民芸“ 運動を

柳宗悦とともに興した吉田璋也が、一時ここに起居していた所で

もある。書院は室町時代の遺構。

 

健脚家には、もう少し足を延ばし、風情のある築地の残る高畑町

界隈の散策をおすすめしたい。付近には、薬師寺奈良市写真

美術館もあり、見るところ、休むところが多くあって時間を忘れ

てしまい、翌日には足腰の筋肉痛に悩まされるに違いない。

 

 

 

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奈良市写真美術館で上田義彦写真展を見る

奈良市写真美術館を訪れるのは数年振りか。ここは入江泰吉氏の

作品が収められているところ。年のせいか、美術館に着いたころ

には疲れが出てきたので、しばらく休んでから上田義彦氏の展示

コーナーに入る。

 

 

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入江泰吉記念 奈良市写真美術館

 

 

 

上田義彦 Forest 印象と記憶 1989-2017

上田氏のことだから、所謂綺麗な写真は無いだろう、と予想はして

いた。予想に違わずと言うか、期待を裏切っていなかったと言うべ

きか、冒頭から哲学的な写真にカウンターパンチを浴びせられた。

神聖? 神秘? 厳粛? 暗闇の中の一筋の光明? ・・・言葉では表現

できない森の写真? いや森に非ず。そこには執拗なまでに “一本の

木” が描かれていたのである。


千三百年前にタイムスリップし、異教徒と出会った明日香人なら、

私と同様の感想を持ったのかも知れない。それは、期待と戸惑いと

いう感じである。氏は多くの木を撮っていた、見ていたに違いない。

けれども、私にはそのどれもが同じ一本の木に見えたのである。


歩を進めれば、薄暗い森の中から一転、これはアマチュアの撮った

写真か、と思われる写真が展示されていた。(その実、撮れそうで

撮れないだろうけど)。これは一度見ただけではやすやすと感想は

述べられない。この写真を部屋に飾り、数カ月経った頃に何かが見

えてくるのだろう。そんな気がした。広告写真とは違う、一風変っ

た写真展という印象だった。

 

あくる日、夜が白々と明けるころ、近くの寺の鐘が鳴り響いた。

布団の中でぬくぬくとしていた私は、ふと気づいたのだ。

上田義彦氏は森の中に思索する哲人を見たのである。一本の木は羅漢

であった、いやいや大日如来といってもよい。森は曼荼羅であったの

だと。氏は、いよいよ悟られたのだ。

・・・

そんな夢を見ていたら・・・寺の鐘の音に起こされた。おかしな夢を

見たものである。

 

 

 

2020年 4月10日(金)~5月31日(日) ※臨時休館