秋篠寺への道
秋篠寺を訪ねるのは初めてである。秋篠宮家ができてから一度は行ってみ
たいと思っていたのだが、今日になってしまった。
近鉄西大寺駅で電車を降り、バス乗り場を探しても見つからなかったので
見当を付けた方角に歩いていくことにした。駅周辺は線路と道路が入り乱
れ方角を見失いそうになる。狭くてほこりっぽい道路脇には飲食店の派手
な看板が目障りな上、 行き交う自動車の数には閉口してしまう。想像して
いたような大和の風景、うっそうとした森、畑や田んぼなどあたりには見
えない。
十五分ほど北の方角に向って歩いていると、 競輪場らしき施設が右手に見
えてきた。たしかその西側にあるはずと歩いていくと、はたして住宅街の
一角にこんもりとした 森が現れた。
※訪れたのは2017年6月です。
南門より境内を望む
金堂跡
参道の両側には苔むした庭がある。正面にわずかに見える建物は本坊庫裏。
苔むした庭園にレンズを向けながら歩いていると、いつの間にか本堂の
間近まで迫っていた。すると忽然と本堂が姿を現わした。小規模ながら
もその美しい姿に思わず感嘆の溜息が出そうになった。
元は講堂である。鎌倉時代初期に再建されたが、勾配の緩やかな寄棟造
りの屋根など天平の遺風を色濃く残し優雅な意匠である。内陣西端には
技芸天像の優美な立姿を拝することができる。
技芸天像は誰似?
秋篠宮家が創設された当時、礼宮さまの妃である紀子さまの横顔が
技芸天像に似ておられると評判になり、 多くの人が技芸天を拝観す
べく秋篠寺を訪れた。その当時の喧噪も今は無く静寂な雰囲気に浸
ることができる。
技芸天ばかりが話題にあがる秋篠寺であるが、ご本尊は薬師如来
(重文)である。しっかりお参りしよう。 ご本尊の左右に脇侍とし
て置かれている伝日光・月光菩薩の穏やかな面相は、信心する者の
心にしみじみと訴えかけてくるものがある。
小粒ながら見事な十二神将像
特筆すべきは、薬師如来の守護神「十二神将」である。 世間ではどう
評価されているのか知らないが、 私が思うには、新薬師寺の十二神将
にも勝るとも劣らない作と断言する。 身の丈70センチ前後と小さいな
がら、その身のこなし、両足が大地を捉える様子、 人の良さげなその
お顔立ち(日本人にいそうでいない お顔)。
これらの像は 小像ながら感心するほど精緻に彫刻され、 保存状態も良
く、 彩色も奇跡的といってよいほど良く残っている。 この像は時代は
下がるが、新薬師寺の十二神将に次ぐものと言っては言いすぎだろうか。
鎌倉時代末期の秀作がここに隠れていた。
ほかに地蔵菩薩立像(重文)、五大力菩薩像など優作ぞろいである。
信仰心の篤い方もそうでない方も是非とも一度はお参りを。小さな
お堂に手に触れるがごとく密集して安置された仏さまが、千年の塵
を被ったご様子が、古美術好きにはたまらなく嬉しい。
仏像を宝石に例えるなら、その入れ物である寄棟造の建物は宝石箱
(どこかで聞いたことがあるような)のようだ。こんな重厚な造り
で愛らしい宝石箱が世に二つとあろうか。そんな印象を持った秋篠
寺本堂である。
開山堂
秋篠寺は奈良時代末期、光仁・桓武天皇の勅願で法相宗の善珠の開基と
伝える奈良時代最後の官立寺院。現在は既成の宗教に属せず、単立宗教
法人となっており、ご本尊は薬師如来である。
「いま、秋篠寺という寺の、秋草のなかに寝そべって、これを書いて
いる。いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある技芸天女の像をし
みじみと見てきたばかりのところだ。」
昭和十六年十月、堀 辰雄は秋篠寺を訪れ、技芸天女のお姿と侘びしげ
な村の雰囲気に魅了されたことを手紙に書いて妻に伝えている。
秋篠寺、なんと素敵な ひびきの寺であろう。
東塔跡(礎石)
西塔跡の礎石は参道を挟んで西側にある。
香水閣
東門より境内を望む
東 門
秋篠寺は創建当時、東塔・西塔などを備えた大寺院であったが、
平安時代に一山兵火に遭いわずかに講堂ほか数棟を残すのみと
なった。当時の面影は林の中に点在する数多の礎石に偲ぶほか
ない。
秋篠のみ寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす
会津 八一
秋篠や外山のさとや時雨るらむ生駒のたけに雲のかかれる
西行法師