京都で一番人気の寺といえば、だれもが一度は参詣している清水寺である。
その清水寺から北の方角へ歩けば、土産物店が軒を連ねる三年坂、二年坂
と京情緒を味わえる一帯がある。そこを通り抜けると八坂神社と開放感た
っぷりの円山公園にいたる。
秀吉公と北政所様の眠る高台寺は清水寺と八坂神社の途中にあり、うっか
りすると通り過ぎてしまう。門前は洒落た土産物店があるので、ついそち
らの方に目がいってしまうことがその理由の一つかもしれない。石塀小路
の東側にある公園の北、台所坂を上ればそこが高台寺である。
突当り左手が拝観入口である。
木々の茂る石畳の道を時計回りに進む。
参道左手に遺芳庵がある(灰谷紹益と吉野大夫 好みの茶席という)。
奥に見える大きな建物が方丈である。
家康の財政的援助もあって壮麗な寺観を呈していたというが、たびたびの火災
に遭い多くの堂宇を失い、今日残っているのは開山堂と霊屋、観月台、茶室・
傘亭と時雨亭などである。
方丈より開山堂を望む。
屋根は檜皮葺きで三方に唐破風がついている。文字通り観月するための建物
である(池に映った月を眺めたのだろう)。
高台寺は、秀吉の没後その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所が慶長十一年
(1606)に開創した寺である。寛永元年(1624)に建仁寺の三江紹益禅師を
開山として迎え、高台寺と号した。意外にも禅寺である。
開山堂の中央部の彩色天井には、北政所の御所車の天井、前方の折上小組天井
には秀吉の使った御船の天井が用いられているという。禅宗寺院の法堂にも見
られる龍の絵は狩野山楽の筆である。
風のごとく通りすぎるのでは勿体ないので、是非とも穴の開くほど天井を眺め
てほしいものだ。
霊屋(おたまや)は秀吉と北政所をお祀りしているところである。開山堂を
東山へ向って坂道を少し上ると茶席の手前に鎮座している。途中によく手入
れされた竹林が風にそよぎ、お参りする人の目と耳を楽しませてくれる。
霊屋内陣の厨子の左右には、秀吉と北政所の木像が安置され左側の北政所の
座像の下には、御遺骸が埋葬されている。
須弥壇や厨子には、華麗な蒔絵が施され世に「高台寺蒔絵」と称され桃山時
代の漆工芸美術の粋を集めている。中央の階段には、「花筏」(はないかだ)
と呼ばれる意匠の筏と川の水面に漂う桜の花びらが無数に描かれて、仏教で
いう無常観を表現しているという。
三十年以上前、高台寺が一般公開を始めたころに訪れたことがある。その頃
の霊屋内陣は悲惨な状態に陥っていた。漆の塗膜は剝れ見るに堪えない状態
であったが、その後修復がなされ美しさを取り戻した。しかし近年再び劣化
がすすんでいたがその後どうなっただろうか。
※上の写真は1980年代に撮影したもの
安閑窟の扁額がわずかに見える。
このような草庵に住んでみたい(子どもの頃に住んでいた茅屋は
もっと大きかったけど)。
※確かにこの場所から大阪の高層ビル群が見える。
露と落ち
露と消えにし 我が身かな
難波(なにわ)のことも 夢のまた夢
※秀吉辞世の句
それにつけても思い出すのは信長の好んだ『敦盛』の舞
人間五十年
下天のうちをくらべれば
夢幻のごとくなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
清々しい風が通り抜ける。
※今回紹介した写真は数年前の九月に訪れたときのものです。
新型コロナウイルス感染防止のため拝観中止でしたが、数日前
から再びお参りが出来るようになりました(マスク着用!)。
なお、「ねねの道」を挟んで「高台寺掌美術館」があります。
名の通り小粒な美術館ですが、ねね様愛用の品々が展示されて
いますので興味がある方は覗いてみてください(高台寺の拝観
者は無料です)。