❝いとしく思う子を法師にしたのは、たいそう気の毒なことだ。
(世間の人が、法師というものを)ほんの木の端かなにかの
ように、情けを解さぬつまらぬものと思っているのは、本当
にかわいそうだ。精進物の、たいそう粗末な物を食べ、寝る
ことまで(とかく言われる)。(いくら法師でも)若い者は
好奇心もあろう。女などのいる所だって、どうして忌み嫌っ
たように少しも覗かないでいられよう。
しかし、そうしたことも世間の人は、とんでもないことと非難
する。まして修験者などはひどく苦しそうだ。加持に疲れて、
ついうとうとすると、「居眠りばかりして」などと非難された
りするのも、とかく法師は窮屈で、どんなにかつらく思ってい
ることだろう。
ただし、これは昔のことのようだ。今は大変気楽そうである。❞
『枕草子』五 思はん子を法師になしたらんこそ
[余説]
験者は、当時病気などを引き起こす原因だとされた「物の怪」
を調伏するために加持や祈祷を行う僧である。依頼があると、
出かけて行き、手には印を結び口には陀羅尼を誦(ず)しなが
ら、憑坐(よりまし)に物の怪を乗り移らせてその正体を暴き、
病人の体から退散させるのである。
※現代語訳:上坂信夫氏ほか
れる治療は、比叡山などの僧による加持祈祷ばかりが目立つ。
お坊さんは余程忙しかったらしく居眠りしたり、あくびをする
姿が描かれている。
お医者様でも草津(有馬)の湯でも治せぬ病があるらしい。
新型コロナウイルス罹病者の治療に従事しているお医者さんや
看護師さんは相当大変に違いない。まだまだ終息には遠い。