❝ 松の木立が高く聳えている邸の、東や南の格子をすべて上げ
てあるので、涼しそうな建物の中の様子が簾越しに見える。そ
の母屋に、四尺の几帳を立てて、その前に円座を置き、そこに
四十歳位の大変すっきりした感じの僧が、墨染めの衣や薄く仕
立てた袈裟を遠目にも分かるように身につけて、香染の扇であ
おぎながら、一生懸命に陀羅尼を誦んでいた。
その屋敷の主人か、その筋の人が、物の怪に取り憑かれて、ひ
どく苦しんでいるので、物の怪を乗り移らせる人(よりまし)
として、大柄な女童(めのわらわ)が生絹の単衣に彩り鮮やか
な袴をことさら長く穿いて、いざり出て来て、脇の方に立てて
ある几帳の前に座っているので、僧は外を向くような姿勢に身
体をひねり、人目につく独鈷を、女童に持たせて陀羅尼を誦ん
でいるのが有難い。
立ち会う女房たちが何人も側近くにいて、じっと見守っている。
あまり時間も経たないのに、女童が身震いを始め、正気を失い、
僧の加持するままに効験を現される仏の御心も大変有り難いと
思われる。
病人の兄弟や従兄弟なども皆病室に出入りしている。修法の効
験を有り難がって集まって見ているのも、喪神状態の女童が正
気ならば、どんなにか恥ずかしい思いに気も顚倒するだろう。
喪神状態にある時の女童自身は苦しくないのだと分かっていて
も、ひどく辛そうに泣いている様子が可哀相なので、よりまし
の女童の知人などは、いじらしことと思い、側近くに坐ってい
て、女童の着衣の乱れを直してやったりしている。
こうしているうちに、病人は小康状態を得て、「薬湯を差し上
げて」などと僧が言う。北面の廂の間に取り次ぐ若い女房たち
は、不安を残しながら薬湯を手に、急いで病人の世話をする。
女房たちの身なりは単衣など大変すっきりときこなしているよ
うだし、薄紫の裳なども糊気がとれてはいないし、清楚に美し
いようだ。
調伏された物の怪に、きつく詫びを言わせ、退散を認めた。
女童は「几帳の中にいると自分では思っていたのに、思いがけ
ないことに人に見られる所に出ていたのですね。どんな具合だ
ったのでしょう」と恥ずかしくなって、髪で顔を隠し、声もな
く奥に入ろうとするので、僧は「暫く待って」と言って、女童
に対し少しの時間加持をして、「どうだね。さっぱりしたか」
と言って、にこにこしているのも立派に見える。
「もう少しの間、お側にいなければならないのですが、勤行の
時間になりましたので」などと言って退出して行くので、
「もう暫く様子を見て」と引き留めるけれど、僧は急いで帰っ
ていく。
そこへ上臈女房と思われる人(女主人)が簾の下にいざり出て、
「大変嬉しいことに、お立寄り下さいました。その効あって、
堪えられないほどに辛く苦しく思っておりましたのに、もう今
は病が治ったようですので、幾重にも御礼申し上げます。明日
も勤行の合間にお出で下さい」と言っていると、
僧が「本当に執念深い御物の怪のようでございました。お気を
つけ下さるのがようございましょう。小康状態でおいでのこと、
お喜び申し上げます」と言葉少なく帰って行く時、本当に験が
高く、仏様が僧の姿で現れなさったのだと思われる。
すっきりした感じで、髪もきちんと整えた童や、また大柄で髭
は伸びているけれど、意外にも髪はきちんとしている童、人を
食ったようで気味悪いように髪の毛の多い童など、僧には多く
の共人がいて、休む暇なくあちらでもこちらでも、高貴な僧と
して人望のあることが、法師になっても理想的といってよいよ
うなことである。❞
※現代語訳:上坂信夫氏ほか
『枕草子』松の木立高きところ
[余説]
憑き人(よりまし)に乗り移った物の怪をテレビドラマなどで
は見たことがあるが、現実にこのようなことが起きるのだろう
か? 清少納言は見たままを書いているのだろう 。もしかして
憑き人は直前にヤバイ薬草をやっていたとか(そんな訳ないか)。