物の怪(コロナウイルス)退散? 祇園祭を迎えて

 

 

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 ❝ 松の木立が高く聳えている邸の、東や南の格子をすべて上げ

あるので、涼しそうな建物の中の様子が簾越しに見える。そ

母屋に、四尺の几帳を立てて、その前に円座を置き、そこに

十歳位の大変すっきりした感じの僧が、墨染めの衣や薄く仕

てた袈裟を遠目にも分かるように身につけて、香染の扇であ

ぎながら、一生懸命に陀羅尼を誦んでいた。



その屋敷の主人か、その筋の人が、物の怪に取り憑かれて、ひ

どく苦しんでいるので、物の怪を乗り移らせる人(よりまし

として、大柄な女童(めのわらわ)が生絹の単衣に彩り鮮やか

な袴をことさら長く穿いて、いざり出て来て、脇の方に立てて

ある几帳の前に座っているので、僧は外を向くような姿勢に身

体をひねり、人目につく独鈷を、女童に持たせて陀羅尼を誦ん

でいるのが有難い。



立ち会う女房たちが何人も側近くにいて、じっと見守っている。

あまり時間も経たないのに、女童が身震いを始め、正気を失い、

僧の加持するままに効験を現される仏の御心も大変有り難いと

思われる。


病人の兄弟や従兄弟なども皆病室に出入りしている。修法の効

験を有り難がって集まって見ているのも、喪神状態の女童が正

気ならば、どんなにか恥ずかしい思いに気も顚倒するだろう。

喪神状態にある時の女童自身は苦しくないのだと分かっていて

も、ひどく辛そうに泣いている様子が可哀相なので、よりまし

の女童の知人などは、いじらしことと思い、側近くに坐ってい

て、女童の着衣の乱れを直してやったりしている。



こうしているうちに、病人は小康状態を得て、「薬湯を差し上

げて」などと僧が言う。北面の廂の間に取り次ぐ若い女房たち

は、不安を残しながら薬湯を手に、急いで病人の世話をする。

女房たちの身なりは単衣など大変すっきりときこなしているよ

うだし、薄紫の裳なども糊気がとれてはいないし、清楚に美し

いようだ。

 

 

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調伏された物の怪に、きつく詫びを言わせ、退散を認めた。

女童は「几帳の中にいると自分では思っていたのに、思いがけ

ないことに人に見られる所に出ていたのですね。どんな具合だ

ったのでしょう」と恥ずかしくなって、髪で顔を隠し、声もな

く奥に入ろうとするので、僧は「暫く待って」と言って、女童

に対し少しの時間加持をして、「どうだね。さっぱりしたか」

と言って、にこにこしているのも立派に見える。



「もう少しの間、お側にいなければならないのですが、勤行の

時間になりましたので」などと言って退出して行くので、

「もう暫く様子を見て」と引き留めるけれど、僧は急いで帰っ

ていく。



そこへ上臈女房と思われる人(女主人)が簾の下にいざり出て、

「大変嬉しいことに、お立寄り下さいました。その効あって、

堪えられないほどに辛く苦しく思っておりましたのに、もう今

は病が治ったようですので、幾重にも御礼申し上げます。明日

も勤行の合間にお出で下さい」と言っていると、

僧が「本当に執念深い御物の怪のようでございました。お気を

つけ下さるのがようございましょう。小康状態でおいでのこと、

お喜び申し上げます」と言葉少なく帰って行く時、本当に験が

高く、仏様が僧の姿で現れなさったのだと思われる。



すっきりした感じで、髪もきちんと整えた童や、また大柄で髭

は伸びているけれど、意外にも髪はきちんとしている童、人を

食ったようで気味悪いように髪の毛の多い童など、僧には多く

の共人がいて、休む暇なくあちらでもこちらでも、高貴な僧と

して人望のあることが、法師になっても理想的といってよいよ

うなことである。❞

※現代語訳:上坂信夫氏ほか

 

枕草子松の木立高きところ

 

 

[余説]
憑き人(よりまし)に乗り移った物の怪をテレビドラマなどで

は見たことがあるが、現実にこのようなことが起きるのだろう

か? 清少納言は見たままを書いているのだろう 。もしかして

憑き人は直前にヤバイ薬草をやっていたとか(そんな訳ないか)。

 

 

 

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