北アルプスの奥深く ― 黒部川源流域を探る旅


日本最後の秘境、北アルプス最深部、黒部川源流、雲上の楽園と聞けば、
山好きな者なら誰しもが強い関心を持つであろう。
あれはわたしがまだ体力も気力もそこそこにあった頃の話である。黒部
「下ノ廊下」を攻略する前に黒部川源頭部を探索してみたいという願望
を持ったことがある。

そもそもの始まりは、ある秋の日に槍沢を散策した夜、槍沢ロッジに泊
まったことにあった。夕食後小屋の書棚の中に一冊の興味ある題名の本
を見つけた。たしか『雲上の楽園-雲ノ平』(この題名は記憶違いで、
『黒部の山賊』だったかも知れない)という新書版の本だったような覚
えがある(それまでは雲ノ平という山名すら知らなかった)。

 

そして、まだ梅雨も明けきらぬ七月下旬、富山県側より黒部川源流を探
索すべく入山した。中判カメラと交換レンズ三本をザックに入れ、ジッ
ツオの小型三脚を手にし、四泊五日の山小屋泊の旅に出た(いつものよ
うに一人旅である)。

富山市に夕方到着したときは西の方角は赤く染まっていた。明日はきっ
と晴れる、と確信していたのであるが、翌朝には想像もしていなかった
天候が待ち受けていた。

 

 

太郎兵衛平の夕暮れ

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折立は今日も雨だった

富山駅前のホテルで目覚めたとき、窓の外は雨だった。昨日の夕焼けは
何だったのだろう。
富山駅から五時三分発の電車に乗り、有峰口で下車、そこで今度はバス
に乗り換えた。雨の中を走る満員のバスは気が重い。この先が思いやら
れる。そんなことを考えていると、ようやく有峰湖が窓外に見えてきた。
終点の折立に着いた時には、雨は増々強く降ってきた。まるで天の底が
抜けたかのようなドシャ降りの雨だ!

 

太郎兵衛平までは辛抱シンボー !?
折立から今日の目的地太郎平小屋までは、ダラダラの登りを五時間歩く。
天気が良ければ薬師沢小屋まで行けるかな、と考えていたのだがそれは
ドシャ降りの雨では無理というもの。黙々と歩く。登山道はよく整備さ
れていて歩きやすいので、それだけは救いだった。周りの景色はほとん
ど目に入らない。ひたすら地面を見ながら歩く。

午後三時前に太郎平小屋に到着する。寝床を割り当てられてから、雨合
羽と登山靴を乾燥小屋に持ち込んで干す。それからカイコ棚のようなベ
ッドで一休みする。
雨が止んだのを見計らい、カメラを持って小屋の周りの景色を撮影する。
ここで薬師岳を眺める。大きな、大きな山である。

 

 

 

薬師沢出合

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いざ 神々の集う高天原

翌朝は、昨日とは打って変わり快晴だった。
太郎兵衛平からの登山コースは三つある。①薬師岳へ登るコース、②北
ノ俣岳を越え黒部五郎岳へ至るコース、③そしてわたしがこれから向か
高天原へ至るコースである。①の薬師岳を登り立山に至るコースには
大きな魅力を感ずるが一人では心細いし、今回目指すものとは違うので
それはまたの機会に。②のコースは展望も良さげで大いに魅力を感ずる
が、それもパス。
③は高天原という名に魅かれた。神々が集うというよりは、汗臭い山男
が集う「別天地」のような気がするけど、まずは行ってみよう。高天原
温泉という露天風呂があるというのも、温泉好きには無視するわけには
いかない。

 

薬師沢出合付近の黒部川本流

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いつかは上ノ廊下へ

薬師沢出合で河原に降り、黒部川に沿って下流へ歩く。天気は良すぎる
くらいだ。ピーカンはフジのベルビアには辛い。梅雨時にはこのフィル
ムを使うことが多い。ISO感度は低めだが、雨の日のコントラストと深
味のある緑色が好みなのだ。
黒部川沿いのコースを選んだのには理由がある。いつかは上ノ廊下へ立
入ってみたい、という願望(妄想?)があるからなのだ。岳人憧れの上
ノ廊下の片りんだけでも味わってみたい、という気持ちからなのだ。

 

高天原

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遠くに見える山は薬師岳だろうか。

 

 

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秘境の温泉と お花畑
高天原峠を越えると後は下るばかりであった。単調な樹林帯を抜けると、
そこはお花畑と池塘のある別天地である。太郎兵衛平からここまで七時
間強か。河原を歩くことさえ厭わなければ、初心者でも十分歩けるコー
スである。ご褒美には、お花畑と水晶岳の景観、それに露天風呂(ご婦
人用に囲いのある風呂もある)と美味しい夕食が待っているのだ。

 

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これより高天原で風月花を楽しむ。雲が出てきたのがチョット気になる。

 

 

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水晶岳夕焼け(高天原山荘より望む)

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山荘前からこの景色を眺め、冷えたビールを飲み、山仲間とお喋り
ができるのだから、雰囲気は山小屋の中でも最高の部類に入るので
はないだろうか(山上から眺める北アルプスとはまた趣が異なり面
白い)。
高天原山荘は、清潔感ただよう素敵な小屋だった。ここの米飯が美
味しかったことは、後々まで長く記憶に残っている。

 

高天原夕暮れ

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高天原温泉
高天原山荘から北へ十五分ほど歩けば露天風呂がある。日本一遠いところ
にある温泉と言われているようだ。標高は二千百メートルと言うから結構
高い位置にある。折立から温泉までは、歩いて二日かかるので健脚向きの
温泉と言えるかも知れない(あいにく写真は撮っていない)。

 

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明日の天候に期待を寄せる…

 

竜晶池

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入山三日目の朝、ザックを小屋に置き、三十分ほど北に歩いて夢ノ平
にある竜晶池に向った。天気は曇りがちで山から吹き下ろす風が強い。
池の周りは疎らに花が咲き、いい雰囲気だった。

 

 

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一瞬、朝日が射した竜晶池。

 

 

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吹きおろしの風に木々がざわめく。

 

 

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チングルマの名残り。ミズバショウの花期はすでに終えていた。



いざ雲ノ平へ?
今日これから目指すところが核心部の雲ノ平である。これから待ち
受ける困難も知らず、のんびりと写真撮影に没頭しているわたしで
あった。

竜晶池では思いのほか時間を費やしてしまった。高天原山荘に戻り、
さあ次は水晶池へ行こう、と思っていたところ、今日の高天原のニ
ッコウキスゲは昨日より色艶がいい。ここでもまた三脚を立てカメ
ラをセットして撮影に熱中してしまった。

侮っていた尾根歩き
眠りノ平にあるという「神秘的」と伝わる水晶池に立ち寄る予定だった
のだが、高天原に後ろ髪をひかれ、またまた時間を費やしてしまった。
先を急ぎ、高天原峠から樹林に囲まれた尾根道をひたすら登る。話には
聞いていたが(初めはタカを括っていた)登るに従い、四つん這いにな
り、木の根を掴んでは攀じ登り、急勾配のハシゴを越える。これを二時
間繰り返すのは些か辛いものがある。その上、二キログラムある三脚の
重さが肩にこたえる。雨に降られないだけラッキーと思うしかない。
視界の開けた奥スイス庭園にたどりついた時にはホッとしたものだ。

 

 

雲ノ平遠望

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雲ノ平山荘にかける情熱
溶岩台地の上に、ポツネンと小さな雲ノ平山荘が見える。
この山荘は『黒部の山賊』を著した伊藤正一氏が戦後に建設した山小屋
である。人夫を雇い、麓から木材を背負って雲ノ平まで運び建設したの
であるから、想像以上に大変な労力を費やしたことだろう。それも雲ノ
平を多くの者に知ってもらいたい、足を運んで欲しいという一途な思い
からであったに違いない。新たに登山道まで開削したというのだから、
黒部にかけるその情熱は半端ではない。現在は息子さんが小屋の経営を
引き継いでいる。

 

溶岩台地に咲くチングルマ(雲ノ平)

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奥スイス庭園、奥日本庭園と巡ったが、これといった絵になる池塘
見当たらず、広がりのある風景は撮影できなかった。せめて遠くの山
がクッキリ見渡せれば撮影意欲も湧くというものだが、山は雲に隠れ
それも適わなかった。梅雨時の山歩きはこんなものと、池塘と山岳を
対比した写真を狙っていたのだが、それは諦める。

 

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祖父岳の火砕流が、ここで行き止まったかのような小山である。
そう言えば雲仙普賢岳の大火砕流も、一ヵ月前に起きた一大事件
だった。あの火砕流では四十三名の死者・行方不明者が出ていた
のだ。

池塘の写真は一枚も撮らずじまいだったが、ゴロゴロとした岩だらけの
景色は沢山撮影していた。
雲ノ平は祖父岳の噴火によって出来た溶岩台地らしく、彼方此方にその
痕跡を見ることが出来る。わたしにとっては、お花畑や池塘よりも溶岩
の形の面白さに目がいった雲ノ平だった。

 

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「雲上の楽園」雲ノ平
その本の中には雲ノ平の「歴史」が書かれてあった。相当以前の話に、
いっとき雲ノ平に犯罪者が身を隠していたようなことが記されていた。
しかし、それが本当かどうかは分らない(昔は麓の村からそこへ行こ
うとすれば、道なき道を数日かけて登ることになるし、食料のことや
住む所を考えると長期間住むには難しい気がする)。

雲ノ平にはスイス庭園、ギリシャ庭園、アルプス庭園などなどの美し
い「庭園」があって、まるで雲上の楽園のようだという。
わたしの住む関西から見れば、立山や雲ノ平は阿弥陀や浄土とは縁遠
い鬼門の方角にあたる。そこにある雲上の楽園とはどんなものか、確
かめてみたい、行ってみたい。浄土にあらず楽園なのだから、現世に
帰って来れぬはずはなかろう(一度浄土へ旅立った者は、二度と現世
には戻ってこないところを見ると、よほどあの世は住み心地が良いら
しい)。

とにかく「雲上の楽園」というのが気になった。そこへ行くには日数
こそ掛かるが、山歩き「中級者」でもさほど困難ではないらしい。
いつか行ってみようと機会を窺っていたのだ。

 

雲ノ平 雲の競艶

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水晶岳夕暮れ(雲ノ平山荘より望む)。

 

雲ノ平山荘の思い出
早々と「庭園」の撮影を切り上げ、雲ノ平山荘に入り疲れた体を休
めた。二階の寝室は思ったより広々としていたが、混雑しているだ
ろうという予想に反し空いてはいたのだが、そこには不思議な光景
が広がっていた。寝室のあちこちに洗面器やバケツが点在していた
のだ。それは屋根から漏れた雨水の受皿なのだった(現在の山荘は
建替えられたものなのでご安心を)。

夕暮れ時になり、夕焼けでも撮影しようとバルコニーへ出る。空は
さほど焼けてはいないけれど、三千メートル級の嶺にかかる雲の形
が面白く、三脚を手に持ち、東へ西へとバルコニーを行ったり来た
り。最後には撮影に熱中するあまり、バルコニーの床を踏み抜いて
しまうほどであった。

 

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黒部源流は山賊の住むところ
雲ノ平を世に紹介した伊藤正一氏は、雲の平のほかに三俣蓮華、
水晶岳と複数の山小屋を造った。お陰で北アルプス最深部まで
人は容易に立入ることが出来るようになった。氏は、それまで
は富裕者層の楽しみであった登山を、一般の勤労者にまで広げ、
登山ブームのきっかけをつくった一人と言っても良いかも知れ
ないのだ。

その伊藤氏の著した『黒部の山賊』を三十余年前に槍沢ロッジ
で読み、いつかは雲ノ平へ、と思い立ったことが今回(と言っ
ても、三十年ほど前のことなのだが)の黒部川源流への山旅に
繋がったのだ。

その源流部には、山賊が集団で住んでいたというのだ(まるで
水滸伝梁山泊ではないか)。その山賊との「交流」と山で生
き抜くチカラ(技術)、山で経験した奇々怪々な出来事、その
記述がとても面白い。その本は復刊され、今では山の本の中で
ベストセラーになっているようなのだ。再び読んでみようかと
思っている。

 

黒部川源流

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雲の平は雲の中
にあった。
これといった展望は望めないので、朝の散歩を諦め本日の目的地
黒部五郎岳を目指す。雲ノ平小屋の東にはテント場があり、その
脇を通り抜け祖父岳の巻道を歩く。勾配の急な坂を下りるとそこ
は待望の黒部川の源頭である。いったいどんな様相なのか期待に
胸がふくらんだのだが。

 

 

 

 

 

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黒部川源頭部の飛び石を数歩で飛び越えると、下流には上のような景
色が広がっている。ダイナミックな景色を期待していたのだが、そこ
コバイケイソウ咲く草原だった。

 

黒部川源頭はまだまだ先(鷲羽岳中腹か?)だった。黒部川の源流を
数歩で(飛び石を)越える。黒部川の写真を撮ろうにも全く意欲が湧
かなかった。こんなはずじゃなかった、と思っても現実はこんなもの
と諦め、頭を切り替えて下流側の撮影を始めた。

源頭より西を望む。左の斜面は三俣蓮華岳の北面、右の斜面は祖父岳
の南斜面と思うのだが(記憶がハッキリしない)。

 

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三俣蓮華岳の山頂北面には、七月でも雪渓が見られた。

三俣山荘に着いた頃には天候は回復に向い、鷲羽岳は鋭角ともいえる
山容を見せてくれた。時間と体力があれば登って見たかったのだが、
今日中に黒部五郎岳に登る予定なので軽めの昼食を摂り、先ずは黒部
五郎小屋を目指した。

三俣山荘から黒部五郎岳に向うコースは三俣蓮華岳(2841m)の山頂
を通る道と、北面の巻道を通る二つのコースがある。山頂を通る道は
一時間余計に時間はかかるが、眺望に望みを託し、そちらを選んだ。

 

 

 

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三俣蓮華岳の山頂からは思ったほどの眺望は得られなかった。周囲の
山の頂は雲に隠れ、どうにも絵にならない。斜面の雪渓で声を上げて
騒ぐ年配のグループに目をやり、先を急ぐ。
ここで初めてライチョウの親子連れを見た。チョコマカと歩く姿は人
を恐れていないように見える。

 

 

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黒部川源流

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写真右奥に見える、頂に雲を被った山が薬師岳である。その手前の
台地が雲の平の西稜のようだ。

 

 

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眼下に黒部川を望む。下流には二日目に通った薬師沢がある。

黒部五郎小屋付近より薬師岳方角を望む。

 

 

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光が当たっている所は、雲ノ平下部の祖母平・祖父平のようだ。
手前に黒部川が流れていたように思う。日数に余裕があれば黒
部川まで降りて行きたい誘惑に駆られた。

 

 

 

黒部五郎岳

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黒部五郎小屋に着き、宿泊の申込みを済ませ、急いで黒部五郎岳
に登る。写真右端に黒部川がある。奥に見えるなだらかな山稜が
北ノ俣岳のようだ。その右端奥に太郎兵衛平がある。

 

 

黒部五郎岳

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黒部五郎岳カールに遊ぶ
カールには「お花畑」がある。写真中央に赤い豆粒ほどに見えるもの
は、太郎兵衛平から歩いてきたグループである。次々に降りてきてい
た。山頂から尾根道を通って小屋へ行く道もあるが、カールを通る道
の方が人気があるようだ。

時間切れである。山頂に到達せずして、小屋に戻らなければならない
時刻になってしまった。霧も出てきた。小屋には今夜寝るスペースが
残されているだろうか、心配になってきた。

小屋は満杯であった。黒部五郎小屋は置かれた場所も良く、人気の山
小屋のようだ。できれば午後三時までには入った方が良い寝床を割当
てられそうな気がする(その時間に居ることが前提。わたしのように
ほっつき歩いていると少々残念な結果が)。

黒部五郎岳には、秋に再び訪れてみたいと思っていたのだが、いまだ
に果たせないでいる。九月二十日頃が紅葉の盛りだと聞いている。

 

山行を振返る
今回の山行で強く印象に残ったものは、高天原山荘から望んだ水晶岳
夕焼け、それに雲ノ平山荘から眺めた雲の「競艶」であろうか。

怖い思いをしたことがある。それは黒部五郎小屋を朝立って、霧の中を
歩いていた時のことだ。三俣蓮華岳山頂から双六小屋を目指していた。
双六岳の東側の巻道を歩いているとばかり思っていたのだが、ニ三十分
ほど歩いて道を誤ったことに気づいたのだ。霧は濃くなり視界は増々悪
くなる、天地の境も分からない。その上、突風をさえぎる木々も無い。
『はげ山の一夜』も怖いけれど、霧にまかれた “はげ山の昼間“ はシャレ
にならん。歩いている道は、どうやら双六岳の尾根道のようだった。

ここはイケイケどんどん真っすぐ進むべきか、後戻りして、再び三俣蓮
華岳を登り巻道へ進路を変更すべきか。安全策を取り、シンドイけど、
もと来た道を戻り、当初予定していた巻道を歩くことが出来た。道を誤
った最大の原因は、思い違いにあったのだ。道標を見てはいたのだが、
昨日も通った山頂の道なので油断と早とちりがあったのだ。

そして双六小屋までの二時間、誰ともすれ違うこともなく、この道で良
いのか不安に駆られての道中だった。砂嵐の中を双六小屋に到着した時
には、漸く人心地がついたものだった。それからがまた長い道中が待ち
受けていた。鏡平の綺麗な景色を見ても、ザックからカメラを引っ張り
出す気力も失せ、真っすぐ新穂高温泉を目指して山を下りるばかりだっ
た。

撮影年月:1991.7

 

 

 

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