「おくのほそ道」をゆく #02   芭蕉 深川を立つ

 

 

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  草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

 

 

 芭蕉はこの句を表八句のつもりで採茶庵(門人杉風-さんぷう-の別宅)

 の柱に掛けて置いたという(写真はイメージ)。

 

 

 

 

芭蕉の門人たちは前の晩から集まっては別れを惜しみ、船に乗り千住
まで送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

  行く春や鳥啼き魚の目は涙

 

 

 

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宿場町千住もだいぶ変わってしまった。この道をまっつぐ行くと
日光街道に出る。芭蕉曾良はその道を日光へ向って歩いた。

 

 

日本人なら一度は耳にしたことがあるだろう…

" 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり "




ひとつの旅を終えれば また次の旅が恋しくなる。

芭蕉には西行や宗祇の後ろ姿が夢に出て来ては消えていく…

みちのくの歌枕が呼んでいる…


そして…腹は決まった

" 羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天明なり "


この文章には芭蕉の強い意志が感じられる。

元禄2年(1689)3月27日、太陽暦5月16日、芭蕉は深川を立つ。

芭蕉46歳の年である(わたしの息子と同じ歳だ)。



わたしには芭蕉翁ほどの観念はなく、観光気分で東京(二日間滞在)を立った。