「おくのほそ道」をゆく #05 塩竈街道は博物館の道か文学の道か?

 

リュックザックをホテルに預け、身を軽くして塩竈街道を西に向って歩いた。
目指すは陸奥国一之宮・塩竈神社である。少々の雨は気にしない 気にしない。

 

 

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太田屋

 

 

写真は味噌と醤油を製造販売している「太田屋」さんである。真新
 
しい金文字の看板が屋根に上がっているが、もとは旅籠で四代目か
 
ら味噌醤油の醸造をはじめた。創業は弘化2年(1845)。現在の店
 
舗は昭和4年に建替えられた。
 
 
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅で塩竈から松島へ行く船に乗った
 
所は、この店のあたりだったようだ。当時はここまで海岸線が迫っ
 
ていて、芭蕉曾良と二人で船に乗り、松島湾の遊覧を楽しんだの
 
だろう。
 
 

  

 

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丹六園

  

塩竈街道を塩竈神社へ向って歩いていると交差点の角に古風な造りの
商家がある。そこがお茶・茶器販売と銘菓「志ほがま」(落雁)を販
売している丹六園さんである。創業は江戸中期享保5年(1720)、当
初は廻船問屋だったという。
 
塩竈の商家はどの家も瓦葺の屋根が立派である。大棟といい、棟降り
といいとても重厚な造りで奈良の寺院を彷彿させる。木造・町屋造の
建物は江戸時代の建物を再利用したものだという。軒下には塩竈の町
屋建築の特徴とされる出桁があるというが、それには気が付かなかっ
た(菓子と格子ばかりに目がいって)。

なぜ廻船問屋から茶や菓子を扱うようになったかと言えば、9代目の時
に、太平洋戦争で商売が下降気味になりお茶を扱うようになったのだ
という。塩竈神社門前町ということもあって、菓子などに人気があっ
たという。うーむ新型コロナ後のことに、考えがいってしまう。

現在の建物は大正3年(1914)に建てられ、平成5年に塩竈市
塩竈文化景観賞」を受賞し、さらには平成26年国の登録有形文化財
指定されている。
 
 

  

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荻原醸造

 

 味噌・醤油製造販売の荻原醸造さんの店先には大きめの木桶が鎮座している。 

すでに醸造樽としての役目は終えたのであろう。水が漏れなければ雨水を貯 
めておく木桶として、あるいは防火水槽として第二の「人生」を、役目を果 
たすことができる。 
 
荻原醸造さんは創業明治21年、建物自体は江戸後期(安政年間)の建築で 
160年は経っているそうだ。料理屋として使われていたものを初代が購入し
たものだという。塩竈に残る最古級の古民家建築として、平成5年には 
塩竈市文化景観賞」を受賞している。背景には塩竈神社が鎮座している。 
自慢の醤油の味がしみ込んだ「玉こん」が人気。 
 
大震災の時には津波がこの地点まで到達したと木樽の脇に石碑が建ってい 
る。海岸線からこの地点までは600mほどだろうか。
 
 
 
 

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旧ゑびや旅館

 

塩竈の名の由来になった「御釜神社」の向いにある旧ゑびや旅館。
現在は旅館業をやめて古民家カフェ「はれま」になっている。
しばらくコロナの件もありお休みしていたが、現在は営業を再開
したという。

建物は明治時代のもので、その昔は遊郭だったようだ。塩釜港
停泊した船乗りたちは、ここで遊び英気を養ったのだろうか。
二階の天井にはそれはそれは優雅な絵が描かれてあるとか。一度
見てみたいものである。
建物の二階と三階は「塩竈まちかど博物館」になっている。
内部の設えは、貴重な木材を使ったり、古いステンドグラス
を窓にはめ込んだりしていて不思議な上品さを醸し出してい
るようだ(開館日は土日だけ短時間のよう)。
大震災の時の津波の被害に遭い、取壊す予定のものを市民の
寄付でNPO法人が買い取ったいきさつがある。
 
明治9年(1876)天皇巡幸の際には、大隈重信随行
々が宿泊したという歴史的にも貴重な建物である。
 

  

 

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伊勢物語』モニュメント(塩竈に)

 

  

 物語の内容は、むかし都の鴨川のほとりの六条あたりに、左大臣
風情のある家に住んでいた。そこで天皇の皇子たちが酒宴をひらき
屋敷のながめのよいことを歌に詠んでいた。そこへ老人がやってき
て詠んだ歌が


塩竈にいつか来にけむ朝なぎに釣りする舟はここに寄らなむ


塩竈にいつのまに来てしまったのだろうか、朝なぎの海で魚釣りを
する舟はここに寄ってほしい、と詠んだのだった。それは、この老
人が陸奥へ行っていた時に、日本の中で塩竈という所ほど風情のあ
る景色のよい所はなかった、と思っていたからである。老人はこの
左大臣の屋敷(庭)を賞美して、「塩竈にいつのまに来てしまった
のだろう」と詠んだのである。

 

「都の鴨川のほとりの六条あたり」とは東本願寺渉成園枳殻邸
をイメージしてもらうとぴったりくると思うのだが、いかがなもの
であろうか? 渉成園塩竈の景色をモデルにしたと言う説もある
ようなのだ。

 

 

 

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塩竈街道(歌碑、モニュメント、要所に風情ある商家が並ぶ塩釜のメインストリート)

 

 

  

 

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道標「壺の碑」か??

  

 

 「より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、

道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はれば、時移

り、代変じて、その跡たしかならぬことのみを、ここに至りて疑ひな

き千載の記念(かたみ)、今眼前に古人の心を閲(けみ)す。行脚の

一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」
※『おくのほそ道』より