「おくのほそ道」をゆく #08 名月の松島(雄島)に芭蕉、義経、雲居禅師の面影を見る

 

松島で船を降り名勝地雄島へ向う

芭蕉翁と曾良は休憩をとってから瑞巌寺、次いで雄島に向ったと「随行

日記」に見える。わたしはザックを背負ったまま歩いてニ十分ほどの所

にある雄島へ直行した。「なに、すぐ瑞巌寺へ行くことになるのだから」

とたかを括ったのだ(写真撮影に二時間費やしてしまった)。

貧乏旅行ゆえ、重たいザックを預ける出費を惜しんだため、気温三十度

超える中での撮影行が、後々体の負担になってくるのだ。


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雄島入口の切通





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小さいとはいえ鎌倉のように切通しがある




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島へ続く道





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渡月橋

ほそ道を歩くと真新しい赤い橋が見えた。島に橋が架かっていると、
昔は「地続き」と言ったようだ。



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橋を渡ると鳥居がある


「雄島の磯は陸から地つづきで、海にさし出た島である。雲居禅師

の別室の跡や坐禅石などがある。また松の木陰に出家隠棲した人も

いくらかはいるらしく、落葉や松笠などを焼く煙の立ちのぼる草庵

がある。ひそやかにひとり住んでいるのだろうが、どんな人であろ

う。心なつかしく近寄ったりしているうちに、月が出て海に映り、

昼とはまた違った眺めになった。」…現代語訳:森 敦氏

 

松島(雄島)は観月の名所、芭蕉は夜の来るのを待ってまでして、
海に映る月を眺めたかったのだろうか。



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時計方向に島を巡る

橋を渡ると多くの人は真っすぐ進むか右手方向に向うが、へそ曲がりの
わたしは左の方向へ折れて進む。

 


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石窟の中に石仏が立ち並んでいる 



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弁財天?




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隧道を越える




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凝灰岩を穿った隧道がある。住居としても利用できるほどの広さである。



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隧道を通り抜けると、そこには広い空間があった。岩窟内には石仏、

墓石、五輪塔が所せましと刻まれ、あるいは置かれてある。島内に

は岩窟が百八つあったと言うが、今に残るのはその半分ほどとか。



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岩窟群

見仏上人が十二年間修行をしていたと伝わる場所はここだろうか。

もしそうなら、かの義経も平泉へ行く途中、ここへ立ち寄ってい

るはず(『義経記』にその記述がある)。



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島の北側の高台に登ると板碑、石碑、石仏が立ち並んでいる





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仏が線刻された板碑




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みごとな線刻である




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妙覚庵跡

鎌倉時代の名僧頼賢の草庵跡である。この場所で二十二年間
島から出ずに修行していたのだとか。

 

 

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芭蕉翁松島吟並序碑 




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雄島最古の板碑

島の南の方角に向うと雄島最古の板碑がある。どちらが最古の板碑だろうか?
(左のような気がするけど)。


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再び岩窟群が現れた 




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みごとなレリーフ




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打ち捨てられたかのような石碑




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風化が進んだ岩窟

岩窟は修行の場であり、死者供養の霊場でもあったのだろう。
千年の時を経てだいぶ風化が進んでいる。

 




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松島湾

島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。雲居禅師の別室の跡、

座禅石などあり。はた、松の木陰に世をいとふ人もまれ見えはべり

て、落穂・松笠などうち煙りたる草の庵、閑かに住みなし、いかな

る人とは知られずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海

に映りて、昼の眺めまた改む。」




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島の中ほどに芭蕉翁と曾良の句碑が建つ




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芭蕉翁と曾良の句碑





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把不住軒(雲居禅師の別室の跡)

雲居(うんご)禅師は、芭蕉の禅の師匠である仏頂和尚のそのまた
師匠にあたる人なのだ。





頼賢の碑を観る

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雄島の南端には頼賢の碑が建つ




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頼賢の碑の鞘堂

内部には頼賢の徳をたたえる文や松島の昔の様子が刻まれている

石碑がある。格子から中を覗いてみると石碑らしきものが見えた。

そのレプリカは瑞巌寺宝物館にあるので、刻んだ文章を知りたい

方はそちらへどうぞ。



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雄島には撮影で二時間ほど滞在したが、その間すれ違った日本人は数名。

欧米の観光客はその数倍はいたように思う。この島の一種独特の雰囲気

は、いつまでも残っていて欲しいものだ。



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島々や千々に砕けて夏の海

芭蕉翁は松島では「感動のあまり句作を断念した」というが、
実際は詠んでいたようである。



松島の月

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「松島の月まづ心にかかりて」 

 

芭蕉 松島の名月を眺める?

松島の月を眺めることは芭蕉翁の望みであった。

雄島は月見をするには恰好の場所である。満月の夜、月明かりが描く

金色のさざ波は、まるで「月の道」のようだという。芭蕉翁にとって

は月の出を待つ事は苦もないこと。『更科紀行』では姥捨て山の名月

を観るため、老体にムチ打ち大急ぎで姥捨て山に駆けつけ、田毎の月

を観賞しているくらいなのだ。

ところが、芭蕉翁は雄島では観月はしなかったようなのだ。

『おくのほそ道』では「月、海に映りて、昼の眺めまた改む」と書い

ているが、曾良の『随行日記』では、午後に松島に着き「瑞巌寺を残

らず見物…雄島所々を見る。…帰りに五大堂を見て松島に宿す。」と

書かれていて、月を見たことには一言も触れていない。それとも宿の

二階から海に映る月を見ていたということだろうか?


わたしはと言えば、名月を観賞する余裕さえなく、この先瑞巌寺に詣

で、五大堂を見学し、今夜は一ノ関でカウント・ベーシーが JAZZ レコ

ード音楽を堪能したという JAZZ 喫茶 “ベイシー” へ詣でなければなら

ないのだ。



眠られぬまま松島の夜を過ごす

辺に帰って宿をとると、海に面して窓を開き、二階造りになって

いて、こうして眺望をほしいままに、いわば大自然の風光のただ中に

身を置いて旅寝するのは、まるで仙境に身を置くかと思われるほどす

ばらしい気分のされることだった。

松島や鶴に身を借れほととぎす曾良

曾良はこんな句を作ったが、自分はというと、待望の絶景に接して、

もはや句をよむどころではなく、句作を断念して、さて眠ろうとして

も、感激のあまり眠ることができない。芭蕉庵をあとにするとき、旧

友素堂が松島の詩を作ってくれ、また原安適は松が浦島の和歌を贈っ

てくだされた。眠られぬままに、頭陀袋をひもとき、それらの詩歌を

取り出して、こよいの心を慰める友とする。袋の中には、また杉風や

濁子の贈ってくれた発句もあった。」(現代語訳:穎原退蔵氏)


芭蕉義経を追う

義経は塩釜を離れると松島に入り、雄島の見仏上人の

旧跡を訪ね、松島明神に祈誓し姉歯の松を見て平泉へ

と入ったのだ。そしてまた芭蕉翁も義経を追うように

松島まで来たのである(芭蕉翁もまた『義経記』を読

み、その足跡をたどっていたに違いない)。


芭蕉翁は歌枕の跡を訪ね、義経の足跡、そして西行

足跡を訪ねたのである。故人への思いは計り知れない。

松尾芭蕉四十六歳(わたしより二十歳以上若いや!)。

世間的には名声を得、いまや風流隠者となった芭蕉

は、この先いったい何を追い求めるのだろう。

※続きます。次回は「松島瑞巌寺編」です。