「おくのほそ道」をゆく #10 中尊寺金堂に藤原三代の栄華を想う


五泊目の一ノ関から平泉駅まではほんの二駅、「青春十八きっぷ」を使

うまでもなかった(いつになったら三枚目を使えるのだろう)。
この辺りは見どころが沢山あって一日や二日では回り切れないほどであ
る。訪ねたい所は幾つもあって、

中尊寺
毛越寺
観自在王院
達谷窟
猊鼻渓
厳美渓

…などなど。これはどう考えても欲張りすぎだ。徒歩で、あるいはバス
を利用しての旅である。体力と資力がいつまでもつだろうかという心配
もある。今夜泊
まる宿も決まっていないし、それが心配だ。周りながら
折を見てネット
で宿を検索してみよう。


 

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中尊寺バス停


平泉駅で下車し駅の中に置いてある付近の案内図やパンフレットを幾つ
か選び、周回の「るんるんバス」には乗らないで先ずは歩く…歩く。

の正面(700m先)には毛越寺があるけど先ずは早朝の中尊寺金堂を
見た
い、人の歩いていない月見坂を写真撮影したい、と気がはやる。
道々歩
きながら景色も撮りたいと、年齢も考えずやる気満々、体力を温
存する
などという気は頭の片隅にも無かった。


 

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武蔵坊弁慶墓碑

平泉駅から歩いて三十分ほどで中尊寺前に着いた。
バス停の隣には
武蔵坊弁慶 の墓」がある。



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中尊寺参道入口




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月見坂




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東物見より束稲山を望む


きゝもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかゝるべしとは

西行の足跡にも ひとかたならぬ思い入れのあった芭蕉である。この地から
束稲山を望み西行の歌を誦じたであろう。束稲山の桜も吉野山の桜に劣ら
ず見事な咲きっぷりであったのだろう。



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西行歌碑 (東物見)

月見坂を少し上ったところに東物見がある。そこに西行歌碑が建っている。




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弁慶堂入口




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弁慶堂




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本坊表門




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本 堂


中尊寺の由緒

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいし
えんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代
清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。

清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・
後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、
「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和
理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、
骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。 」
中尊寺ホームページより引用




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金色堂覆堂(金色堂は覆堂の中にある)


かねて耳おどろかしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、

光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散り失せて、

珠の扉 風に破れ、金の柱 霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚の叢

となるべきを、 四面新たに囲みて、 甍を覆ひて風雨を凌ぎ、

しばらく千歳の記念とはなれり


ここは是非とも原文で鑑賞したいところである。平泉の巻は
『おくのほそ道』の心臓部、藤原氏の栄華と義経の悲劇の歴史
を回顧しているところなのだ。

芭蕉の筆には力がこもっている。

変わるものがあれば変わらないものもあるのだ。『平家物語
や『方丈記』、杜甫の詩に通じるものを感じるのは、わたしだ
けだろうか。

金色堂(天治元年・1124)には、建物を風雨から守る覆堂が創
建当初からあったものだと考えていたのだが、どうもそうでは
なく、芭蕉が「四面新たに囲みて」と書いているように正応元
年(1288)に覆堂(さやどう)が造られたようだ。

七宝散り失せて 、 珠の扉 風に破れ、金の柱 霜雪に朽ちて、
すでに頽廃空虚の叢となるべきを

の意味が実物の金色堂を拝観してそのことが分ったことは収穫
であった。金色堂の屋根は宝形造、瓦形の厚い板葺きで創建当
初からのものなのか、長年の霜雪で千年の皺を刻んでいた。そ
れが深く印象に残っている。

金色堂は昭和に修復されたので、今は綺麗に金色に輝いている。
写真家の土門拳氏は、金色堂が綺麗になったことを喜んではい
なかったけど。

金色堂は鉄筋コンクリート製の覆堂(1965建設)内でガラスケ
ースに納められて外気と遮断されている。ふだん「金色堂」と
して見慣れている建物は、鉄筋コンクリート製の覆堂 なのだ。




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経 蔵




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旧覆堂(重要文化財

室町時代の建築と考えられている木造の旧覆堂。
芭蕉が見た覆堂はこの建物である。




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能楽殿

能楽殿、その奥には白山神社が鎮座しているので忘れずに拝観したい。




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能舞台嘉永六年(1853)伊達藩により再建。正統かつ本格的な規模と
形式の能舞台として、平成15年(2003)に国の重要文化財に指定された。



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白山神社中尊寺の北方を鎮守するためこの地に勧請)


紹介した建物以外にも見どころは沢山あるのだが、この辺で終わりにして
次の目的地に向かおう。中尊寺では次の句だけ記憶にとどめれば良いこと
にしよう。
 

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衣川の方角を望む



五 月 雨 の 降 り 残 し て や 光 堂

この寺の建てられて以後、五百年にわたって年々降り続けてきた五月雨も、
ここだけは降り残してであろうか、今、五月雨けむる空のもとで、光堂は
燦然と
輝き、かつての栄光を偲ばせていることだ。

評釈:穎原退蔵氏


 

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