説教家になりそこねたカサノヴァとヴェネチアでの恋の教訓



はじめに
世間では、カサノヴァはペテン師で女狂いと見られているようだ。確かにそうに違いないけれど、ただそれだけに終わってはいないところが、カサノヴァの面白いところなのだ。十八世紀ヨーロッパの一時期を席巻した「ロココ時代」に、ヴェネチア的享楽と自由を追求し、「官能の犠牲者」となることを喜んだのがカサノヴァの人生である。これから追々その端々を展開していくことになるだろう。まずは少年期のカサノヴァはどう創られたか…ですね。


 

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説教家になりそこねたカサノヴァ

ある日のこと、マリピエロ氏はカサノヴァに向ってこう言った。
“ 「今月の第四日曜に、称賛演説者を選ばねばならない。この日は、ちょうどクリスマスの翌日になる。そこでわたしは、お前を司祭(トゼルロ神父)に推薦しよう。」”

この申し出に、カサノヴァは驚く。説教師になるなど考えていなかったし、自分で説教をつくり、それを弁じることなどができようとは思ってもいなかったからである。

カサノヴァはマリピエロ氏に
“ 「ご冗談でしょうといった。」するとかれは…きみはもともと当代一の名説教家たるべく生れてきた男で、今はまだ大変にやせているが、太りさえすれば堂々たるものだ、とたちまちわたしを説得し、わたしにそう思いこませてしまった。わたしは自分の声にも態度にもやや自信をもっていた。また、説教の草案も、傑作をつくりだすだけの力が十分にあると思っていた。

わたしはかれ(マリピエロ氏)に承知しました、わたしは一刻も早く自宅に戻って、賛辞演説を書き始めましょう、わたしは神学者ではありませんが、内容はよく心得ていますから、人がびっくりするような新しいことを述べてみましょうと答えた。”

演説草案を主任司祭やマリピエロ氏に見てもらったところ、異端者からの引用がある、ということで首を縦に振ってもらえなかったが、引用を代えることで了解を得る。そして教会での説教は、

“ わたしは、選り抜きの聴衆を前にして、サン・サムエーレ教会で、説教を読み上げた。非常な喝采を博し、人々の予言どおりの出来栄えだった。十五歳やそこらで、このような大役を果たしたものは、今までひとりもいなかったのだから、わたしは当代一の大説教家になる運命を負わされていたといえる。”

寄進袋の中には、大枚「五十ゼッキー以上の金貨と恋文が数通入っていた」というのだから、ここにカサノヴァの人々を酔わせる弁舌が発揮されていたのだ。最初の説教は大成功をおさめたが、幸運の女神は二度目の説教壇には現れなかった。世間を甘く見ていた十五歳のカサノヴァは、二度目の説教で大失態をしでかしたのである。



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失敗した説教
運命の分かれ目 三月十五日、この日午後四時から教壇に上がり説教を述べる予定だったカサノヴァは、ある伯爵との楽しい昼食を放棄する気になれず、しこたま食べてしまった。おそらくワインなども飲んだことだろう。

“ わたしが、この立派な客とまだ食卓をかこんでいるときに、ひとりの僧がやってきて、香部屋でみんなが待っていると告げた。胃はいっぱいで、頭もかっかしていたけれど、わたしは席を立ち、教会にかけつけて説教壇に上がった。”

しかし、出だしこそうまく述べることができたカサノヴァだったが、お腹いっぱいの頭では、考えていた説教を途中で忘れてしまい、しどろもどろになってしまった。聴衆からは笑い声が聞こえ、何人かは教会から出て行く始末だった。「万事窮してしまった」彼は失神して倒れてしまった。

“ 二人の僧がやってきて、わたしをかかえ、聖具室に運んだ。わたしはそこで誰とも一言の口もきかず、マントと帽子を手にすると、自分の家に逃げ帰ってしまった。”

それからカサノヴァは、身の回りの品を旅行鞄につめこむと、第三学期の試験を受けるためにパドヴァに出発した。このあと二度と再び説教壇に上ることはなかった。



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不幸な事件のことが忘れられた頃、カサノヴァはヴェネチアに戻ってきた。ヴェネチアでは、犯罪者でさえ人々の記憶から消え去るころには、その罪は帳消しになっていたのだとか。

面食いだったカサノヴァ?
面食いなカサノヴァには、女性の美しい容貌ほど性欲に強く働きかけてくるものはなかったようだ。

“ 男は他のあらゆる動物とは違って、五感のひとつを媒介としてしか女に惚れこむことができない。そして、五感は触覚を除いて、他はすべて頭の中にある。こうした理由から、目の見える者にとっては、容貌が恋のあらゆる魔力を発揮するのだ。顔を包み隠したまま目の前に現れた、全裸の女性の最高に美しい肉体は、男を享楽へとかりたてることができても、いわゆる愛というものには決して向かわせないだろう。

なぜかといえば、本能に身をまかしている間に、男がこの美しい肉体の持主の顔からその覆いを取り、そして、その容貌が本当に醜く、不快感や、愛の喜びに対する嫌悪感や、ときには憎悪をさえも抱かせるものであるならば、男は自分が一瞬身をゆだねた獣に一種の戦慄をおぼえ、そのまま逃げだすに違いない。しかし、男が美しいと思った容貌から恋が芽生えた場合には、全く逆のことが起こる。その女をものにすることができれば、彼は女のいかなる不格好な肉体や、醜さにも尻ごみしない。”

と、かっこいいことを言っているけど、「女は灯りを消せばみな同じ」とか、美人でもない淫売婦に引っかかっては有り難くないお土産を四度も貰ったりしているのだ。その治療法・処方箋もそのうち紹介することになるだろう。

ついでながらモンテーニュは『エセ―』の中でカサノヴァみたいなことを言っているので紹介したい。

親しい食卓の集まりには、私は賢い人よりも面白い人を選ぶ。寝床では立派な女よりも美しい女を、議論の席では少しぐらい正直でなくても有能な人をとる。”

はげしく同意! そんな機会はなかったけどね。



ヴェネチアでの 美しい娘たちとの恋、恋、恋
ヴェネチアとパゼアーノで知り合った娘にテレザ、ルチア、それにアンジェラと二人の姉妹ナネッタとマルチ―ナがいる。カザノヴァは十六歳で男になった。相手は没落貴族の出である二人の姉妹だった。ここでの恋で、カサノヴァはいくつか教訓を学んだ。

“ ルチアはパゼアーノの別荘番の娘で、まだ十四歳にしかなっていなかったが、肉体はすでに十七歳の娘と同じくらいに成熟し、肌は雪のように白く、眼と髪の黒い、天使のように清純な少女だった。カザノヴァはルチアにたちまち惚れ、ルチアも彼にすべてを許すほど愛してくれた。しかし、「良心的に彼女の純潔を守った」カザノヴァは、パゼアーノでの二週間あまりの夜を楽しみながら、次の年の春に再会することを約束して別れてしまった。

ところがルチアは、それから七ヵ月後に、札つきのならず者に誘惑されて駆落ちした。このことを聞いたカザノヴァは、ルチアの不幸の原因は自分にあったと反省し、「死ぬまで変わることがない」と思われる非常な自責の念にかられた。

しかし同時に、「彼女に手もつけなかった自分の美徳をうぬぼれ、得意になっていたが、こうなってみると、自分の愚かな慎みが悔やまれ、恥かしくなってきた。今後この種の慎みについては、もっと賢く振舞おうと心に誓った」という教訓を与えられた。十六年後にカザノヴァはアムステルダムの淫売屋でルチアに出会ったが、転落した彼女は惨めな暮らしをしていた。”


ルチアからは女性心理の機微を学んだカサノヴァだった。『回想録』をもっと早く読んどけばよかったと思う誰かさんであった^^;
アンジェラ、そして二人の姉妹ナネッタとマルチ―ナ との恋は、話せば長くなるのでそれはまた次回にということで、今日はこれでお終い。

 



※参考文献
 『カザノヴァ回想録』、『孤独な色事師―ジャコモ・カザノヴァ』…窪田般彌
 『カザノヴァ』…ツヴァイク全集