円山公園で紅葉を楽しんだあとは、すぐ近くにある「平家物語」ゆかりの長楽寺へむかった。この寺は壇ノ浦での平家と源氏方との決戦後、建礼門院様がはじめにお隠れになったところである。歴史はかなりあるようなのだ。
水戸藩士の墓があると案内にあったので、墓地のある山へ登る。左手の橋を渡ると頼山陽先生の墓があるようだ。どちらの墓もこの寺にあることを知らなかった。
まさか長楽寺に徳川慶喜公の重鎮・原市之進殿の墓があったとは…。平岡円四郎殿のあ
とに幕臣によって暗殺されたようだ。慶喜公がその死をいたみ長楽寺に葬ったとある。
渋沢栄一翁を思う
昨年、渋沢栄一翁の伝記を二冊読んだ。翁の人生を大河ドラマ「晴天を衝け」で放映す
るから興味をもったわけではない。新型コロナのお陰で、巣ごもり中に読むようになっ
たのだ。
だいぶ以前に神戸三宮センター街の古書店(あかつき書房)で『澁澤栄一傳』(昭和6
年刊)を見つけた。朝ドラで『風見鶏』を放映していた頃だ。その本を手にしたわけ
は、氏に興味を持っていたこともあるし、著者と出版社にも興味があったからである。
著者は土屋喬雄、出版社は「改造社」である。その名を知っている方は案外古書マニア
かも知れない? なぜ今ごろ読む気になったのか よくわからないのだが…。
土屋喬雄氏は経済(史)学者であるが、とんとそっちの方面にはうとい私が、どういう
わけか若い頃に氏の「日本資本主義発達史」を読んだことがある。その時の印象は、デ
ータの量と調査は膨大で煩雑だけれど、その結論が断定的でないところに妙に引っかか
るところがあった(門外漢の言です)。
ところが『澁澤栄一傳』の方は、珍しく歯切れのよい文体だったので面白く読めた。そ
のうちの 「序」 の一部を紹介しよう(少々長くなるが、今では手に入りにくい本なの
でご容赦を)。
澁澤栄一は日本資本主義勃興期の最高指導者?
“ 日本資本主義経済は、いふまでもなく、無比の速度を以て急激に発展した。近代資本主義への道を拓いたかの維新革命以来、今日に至るまで僅かに六十有余年、此間に日本はともかくも世界資本主義経済の重要なる一環にまで発展した。その急速なる進展の過程に於いて岩崎、安田、大倉等、徒手空拳一代にして能く巨億の富を積める「商界の偉傑」を輩出せしめた。
だが彼等の活動分野は限られてをり、各々一、二産業部門に活躍するに過ぎなかった。その活動範囲の広汎の點において、又大指導者たるの風格において、彼等は必ずしも一流の富豪ならざる澁澤に及ばざること遠い。
澁澤栄一の生涯は、その指導的地位、その活動範囲の広汎の故に、云わば、日本資本主義発達史其ものたるの観がある。日本経済史研究者たる著者が本傳を草する興味を感じた所以はここにあるのである。
然らば、我が資本主義経済が、その発展の途上において彼の如き特殊にして偉大なる指導者をもったのは何故であるか。また何故にもたねばならなかったか。思ふに、日本資本主義経済の歴史は、之を欧米のそれに比すれば、著しく遅れてゐる。維新革命の行はれた一八六八年においては、欧米諸国は既に産業革命を完成し、隆々たる発展の途上にあった。従って我国資本主義は、何よりも先ず先進諸国よりの新生産方法、新経済制度の輸入にその出発点をもたねばならなかった。
しかも外国資本の強烈な圧迫は、それらの輸入を急速ならしめ、その慌ただしき過程において種々の混乱を惹起せしめんとした。凡そこれらの事情が、何人か最も早く欧米経済事情を熟知し、その方面に異常の熱意と才幹とを有する人物を指導者として要求したのは、必然であった。
かかる時代の緊切なる要求にいちはやくも適材たることを示した第一人者は、澁澤栄一であった。彼の知識、経験はその活動を通じて愈々豊富を加へ、彼の手腕はその努力によって益々磨かれ、彼の人物はその困難を通じて愈々大を加へた。彼はいくばくもなく産業指導の王座へと押し上げられた。
…封建的身分制度の撤廃と共に、門閥的特権の地に堕ちた当時においても、官界、政界においては藩閥は「立身出世」の階梯であったが、実業界においては之と趣きを異にし、人の地位を築くものは、主として才能であり、実力であった。それゆゑに、彼の聡明、才幹が、彼の経歴を築くための重要なる要因であったことは、いふまでもない。
昭和六年十一月十日
澁澤子爵薨去を悼みつつ ”
もう一冊の伝記は幸田露伴の『渋沢栄一伝』である。こちらの方は渋沢栄一氏の関係者
ら依頼されて書いたようだ。露伴の筆は相変わらず下調べが凄いことがうかがわれる、
が いつもと勝手が違う。露伴の方は、幼少期から老年期のことまで細かいことが書かれ
ている。でも最後まで読むには結構根気がいった。
圧巻だったことは、青年期に封建社会の不合理さに義憤を覚え、仲間数十人で高崎城乗
っ取り計画、そして横浜へ行き外人切り捨て計画を立てていたことである。
「大和魂」の精神のもと、槍と刀だけで反乱を企てていたとは恐るべし渋沢栄一であ
る。
意外だったことは、「尊王攘夷の志士」とでも呼んでいいような青年期の栄一が、困窮
の末に、幕府を倒すどころか徳川慶喜公に仕えることになってしまったその経緯である。
この逸話もすでに放映されているので、紹介はここらで終いにしよう。
小難しい伝記を読まなくても『雨夜譚』という本人が書いた自伝があるので、これを読
めばいいことが最近わかった。
※以前投稿した文を再構成しています(だれも読んでくれなかったので^^;)。