かつて『美味しんぼ』という漫画があった(今でも続いているのかも)。大人向けの週刊漫画誌に連載されていた。わたしは第一回目からの読者であったが、主人公の山岡が同僚の女性と結婚したころから読まなくなってしまった。
その漫画に出てくる山岡の父親に北大路魯山人をモデルとした海原雄山がいた。魯山人をモデルとしていたと書いたけれど、実のところはわからない。実在の魯山人と海原雄山とは、とてもじゃあないけど似ているとは言えないと思うのだが…。
わたしは魯山人の熱烈なファンと言うわけではないけれど、どういうわけかいつも気になる存在の人であった。四十年ほど前から伝記を読んだり、魯山人の陶磁器であったり、篆刻であったり、書画などを機会があれば鑑賞していた。だけれどいつも距離を置いていたような気がする。
真夏のように暑い日、ふと思いたって魯山人(本名は北大路房次郎)の生誕地とお墓を訪ねてみたので、その日のわたしの足跡を書いてみたい。まずは墓地(京都市営西賀茂小谷墓地)から…。
墓地へはJR京都駅より京都市営バス9番西賀茂車庫行に乗り「大宮総門口町」下車徒歩十分ほど。
晩年の魯山人はけして幸福とは言えなかったようだ。体調が思わしくなく、その上莫大な借金をかかえていたので茶寮や窯場で働いている人たちに満足に賃金が払えないような状態だったようだ。そのせいか窯場で働く職人たちは魯山人の贋作を作って売ったり、女たちも台所などにあった陶磁器を勝手に持ち出して売ったりしていたようである。そんなことが『知られざる魯山人』(山田和-著・2008年大屋壮一ノンフィクション賞)に書いてある。この本はおすすめである(文春文庫で読める)。
ちなみに魯山人の死因はジストマ虫による肝硬変だという。
先日「ブラタモリ」にもこの辺りが出ていた。
魯山人(房次郎)は裕福とは言えない社家に次男として生を受けた。その出生は謎につつまれていて、生れる前に戸籍上の父は割腹自殺。魯山人の生まれる四ヵ月前のことである。生まれてからは養家を転々として、辛い幼少期を過ごしたことだろう。
少年期には、養家に気に入ってもらうよう食事をこさえたり、結構料理は上手かったようだ。
魯山人は書画、篆刻でも名声を得たが、経営していた星岡茶寮で用いる器を自前で作っていて、各地から技量のある陶工を呼び寄せていた。その陶工達とはかなり悶着があったようだけど、その中からは数名の「人間国宝」が出ているのだから、その人たちを使っていた魯山人はやはりただ者ではなかったと言うことだろうか。
ちなみにその「人間国宝」の名を上げれば、加藤唐九郎、荒川豊三、金重陶陽、藤原建である。で、魯山人本人はどうかと言えば、文部省の小山富士夫にいく度か推薦をされたが、情実で「人間国宝」になるのはお断わり、といって「国宝指定の推薦状の用紙を弊履のごとく投げ捨て」たという。
魯山人は幼少期、養家の女たちに上賀茂神社裏手の神宮寺山に連れられてゆき、真っ赤なツツジの咲き競う光景を見たことが、自分は美とともに生きようと決心したのだとか(うーむ小説のようだなぁ^^)。