漱石『猫』の登場人物のモデルとなった寺田寅彦の珍研究「椿の花 ー 空気中を落下する特異な物体の運動」とは






先日久しぶりに漱石の『吾輩は猫である』を読んだ。実に五十余年ぶりである。一度目は、たしか高校生の頃に夏休みの宿題で感想文を書くために読んだような覚えがある。今回読んで感じたのは、こんなに面白い小説だったかしら、ということだった。

「猫」はアララギ同人の高浜虚子に依頼されて執筆し、アララギに掲載されたものだったように記憶するが、その「猫」が面白いと評判をよび、続編が次々に書かれたようだ。わたしが好きなのは、初めの頃の「猫」である。
その「猫」二の章に次のような文章がある。… 猫の観察として読んでみて。

" しばらくすると下女が来て寒月さんが おいでになりましたという。この寒月という男は矢張り主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話である。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋つて(おもって)いる女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、詰まらなさそうな、凄いような艶っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなび掛けた人間を求めてワザワザこんな話をしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い "

漱石好きな読者は、「猫」に登場する水島寒月のモデルになった人物がどんな人か知っていると思うが、注釈では「理学士・水島寒月漱石の五校教授時代の教え子、寺田寅彦がモデルといわれる。寅彦は当時、東京帝国大学大学院で物理学を研究、明治三十七年九月から帝国大学理科大学講師となった」とある。寺田氏は多才であったらしく、研究のかたわら、ヴァイオリンを弾いたり、随筆や小説なども書いたようだ。私生活では最愛の奥さんに先立たれたという不幸な面もあったことが「思い出」に書かれてある。さてさて前振りが長くなった。


   落ちざまに虻を伏せたる椿哉
 

上に夏目漱石の句を紹介してみた。
はたして落下した椿の花に閉じ込められるドンくさい虻がいるものだろうか。それはさておき、漱石先生の弟子筋にあたる科学者に寺田寅彦氏がいたことを始めに書いた。その寺田氏だが、高等学校の学生時代、この句の内容について友人と「色々論じ合った」と『思出草』という随筆に書いている。そして後に、大真面目に「空気中を落下する特異な物体の運動ー椿の花」と題する英文での論文を理研で発表している(このことは中谷宇吉郎氏も書評ー『夏目漱石小宮豊隆著でも書いている)。



落 椿




なぜそのような「珍研究」(自らそう言っているようだ)を寺田氏は始めたのだろうか。それは本人の言葉を借りると…

「ニ三年前のこと、私は知り合いの年配の紳士から、地面に落ちた椿の花はほとんど仰向き、つまり雌しべや雄しべが上を向いているのは何故なのか、と質問された。私はそのような事実に気付いていなかったので、本当にそうなのかを確かめよう、そしてもしそれが事実ならば、なんらかの説明を与えてみたいと考えた。さらにこの問題は空気力学的に飛行機の宙返りと関連した問題であり、したがって研究として全く無用のものではないだろう」ということだった。

そして「理研の所長にたのんで一本の赤椿を二号館脇に植えて」もらい「花が咲き出すと毎日花を数え、散り終ると、仰向いて落ちたのとうつむいて落ちたのとの数の%を計算して、落ち椿の力学とその進化的意義を論ずるという珍研究を始め」た。


「偶然な機会から椿の花が落ちるときにかりにそれが落ち始める時には俯向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしいことに気が付いて、多少これについて観察し又実験をした結果、矢張り実際にそういう傾向のあることを確かめることが出来た。それで樹が高いほど俯向きに落ちた花よりも仰向きに落ちた花の数の比率が大きいという結果になるのである。

しかし低い樹だと俯向きに枝を離れた花は空中で回転する間がないのでそのままに俯向きに落ちつくのが通例である。この空中反転作用は花冠の特有な形態による空気の抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率等によって決定されることは勿論である。」

ここで再び漱石先生の句に話題を転じるが、
「もし虻が花の芯の上にしがみついてそのまま落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。」と寺田氏は語るのである。…うーむ?







二枚目の椿の花の落ちている写真は、未明に春一番が吹いた朝、近所の公園で撮影したものである。なるほどほとんどの花が上を向いている。今までは何者かが写真撮影のために手を加えているものだとばかり思っていた。以後、気をつけて椿の樹を見かけたら観察しているのだが、ほとんどが上を向いて落ちていることが分った。

ちなみに寺田氏の観察によれば、落ちる花の多寡は必ずしも風の強い日弱い日と関連しておらず、風の強弱とも直接的な関係はなさそうだ、というのだ。それじゃあ気温が関係するのだろうか。寺田氏はそれは「潮時」があるのではと考えているようなのだ。うーん どうなんだろう?



※旧漢字、旧仮名は読みやすく直しています。

【参考図書】
寺田寅彦全随筆』第四巻「思出草」
中谷宇吉郎随筆選集』第一巻、書評-小宮豊隆著『夏目漱石
『槲』第49号 寺田寅彦記念館発行


 

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