さる年の夏も終りの頃、休暇をとり山陽道の宿場町矢掛(やかげ)
を訪ねた。一つの宿場町で本陣、脇本陣と二つの本陣があるのは
矢掛だけだというし、以前テレビで見た矢掛の町並みをこの目で
見てみたいという強い欲求があったからである。それから数年後…
幾日も雨の日が続き、どこかで水害が起きなければよいがと思って
いた。
小田川の堤防が決壊し、町は濁水に飲まれているという報道に接し
た時、「倉敷市真備町」というテロップが画面に流れた。そこで見
た光景は信じられないような光景であった。もしや先年楽しい旅路
を送ったあの沿線ではないだろうか?
そんな不安が脳裏を横切った。…そして不安は的中してしまった。
不安の元は、かつて小田川が氾濫し、矢掛の町が水害に遭ったこと
が記憶の片隅に残っていたからである。私に出来ることといったら、
一日も早く町が復興することを願うばかりであった。
倉敷方面に向う電車がホームへ入ってきた。
向うに見える電車が井原鉄道井原線である。真備町や矢掛町へ行く
には、この駅で乗換える。清音駅付近の水害は報じられていなかっ
たように思うが、確かなことは遠方に住んでいる者には分らない。
井原鉄道では、高梁川を渡る橋梁がダイナミックに見えたものだ。
一つ目の駅の川辺宿駅、真備駅あたりまでは人家が多かったように
思うが、そこを過ぎると田畑の残る、のどかな田舎の景色を見るこ
とができた。いまあの景色はどのような状態になっているのだろう
か。
井原鉄道を利用し矢掛町を訪れたのは五年前の九月のことだ。以前よ
り矢掛の町並みに興味を持っていたので、勤務を変更してもらい念願
が適ったのだった。
井原鉄道に乗り、違和感を持ったことが一つあった。それは何かとい
えば線路が高架になっていたことである。コストのかかる高架にした
のには何か理由があるのだろう。もしや古より連綿と続く水害の教訓
だったのだろうか。それとも道路との平面交差が無いことによる高速
鉄道を目指していたということか。
「西日本豪雨」被害により、矢掛町でも小田川の堤防が三カ所決壊
し町民への被害も少なからずあったようだ。
以前(1976年)の豪雨被害では、写真に見える北の山々に大雨が
降り小田川が溢水した。
例年十一月には、この通りを「大名行列」が時代衣装で練り歩く。
矢掛町は旧山陽道の宿場町であった。かの篤姫も陣屋に宿をとった。
古い家では、石段を二三段上がり玄関に通じる造りになっている。
このことからも昔から小田川の洪水には悩まされてきたことが分る。
意外なことに、川底より山陽道のほうが低い位置にあったという。
山陽道に面した「矢掛屋」という日本家屋をリノベーションした和風
ホテルに宿泊した。温泉もあり、夕食には「イタリア料理」も出て満
足した夕餉を済ませた。とてもリーズナブルな宿だった(うっかりし
たことに宿の写真は撮っていなかった)。
趣のある路地や建物が残されているのが嬉しい。町ぐるみで
保存に取組んでいるのだろう。
私設の美術館を裏から撮影。この美術館では、主に“民芸”風の
陶磁器を展示している。土蔵は嘉永五年のもので第一回岡山景
観賞を受賞している。土蔵は、水害を考慮した石組の基礎構造
だという。
鑑賞後に居間に招いていただき珈琲をご馳走になった。コレク
ションの目録の中に、私の持っている九谷の赤絵の酒杯とまっ
たく同じものがあった。
メインストリートの北側には重厚な土蔵が建ち並んでいる。
一つの宿場町で本陣、脇本陣と二つの本陣があるのは矢掛だけだ
という。平日は公開していないので、残念ながら建物内部は見学
することはできなかった。国指定重要文化財である。
地蔵堂(観音堂?)とモダンな意匠の「交譲会館」の対比が面白い。
建物の後方にトラックが見えるが、そこが小田川の堤防である。
四年前訪れた時にも河川の工事は続いていたのだが、今回の水
害は起きてしまった。
石井家は、江戸時代初めころから矢掛宿の本陣職を務め、元禄年間
ころからは酒造業を営んでいた。屋敷は旧山陽道に面し、矢掛宿で
は最も大きな町屋という。十三代将軍徳川家定の正室であった天璋
院篤姫も本陣を使用したことが、近年の研究の成果で判明している。
中央の門が御成門である。江戸時代、身分の高い人はこの門より
入ったのだろう。
見学者は家業用出入口より入る。
主屋は店棟、居室棟、台所棟の三つに分かれている。
篤姫様もこの部屋でお休みになられたのだろう。石井家文書に、
篤姫一行(総勢259名)が矢掛本陣に宿泊(本陣に53名宿泊)し
た記録が残されている。
襖には、矢掛の特産品 “綿花” が描かれている。
什器なども見たかったのだが、展示されていなかったのが残念。
昔使用していた陶磁器や漆器の類を展示して頂きたいものだ。
酒造施設のある中庭より主屋の方向を望む。
写真正面突当りの建物を入ると台所がある。
主屋の台所を出ると、裏には酒造関係の建物が整然と軒を並べている。
一番奥(旧山陽道・小田川の堤防に面す)には、“裏門座敷長屋”と呼
ばれる見事な土蔵造りの長屋門がある。
もろみを絞る道具が絞り場に置いてある。四角い箱(フネ)にもろみを
入れ圧を加えて酒を絞り出す。絞った酒は写真右下にある丸い甕に入る
のだろう。絞り終えればフネには酒粕が残る。
余談だが醪搾機から最初に出てくるお酒が実に美味いのだ(酒造りに携
わるものだけが味わえる)。
見事な経年変化だ。虫食いの痕だろうか。
酒倉の一階と二階には酒造りの備品などが展示されている。
どう見ても船箪笥だが、内部にはお金ではなく神仏のお札を収めて
いたようだ。船箪笥は北前船が運んできたものか。
屋敷内には米蔵、酒倉、絞り場、麹室などの土蔵が整然と軒を
並べていた。写真右手には長屋門があるのだが、大きすぎて写
せない!
矢掛町銘菓
げ町屋交流館」などがあり、小さな町だけれど見どころは多い。
矢掛の銘菓を一つだけ紹介するなら、篤姫様も食されたという
佐藤玉雲堂の柚べしをお薦めしたい。柚べしにも様々な形があ
るが、一押しは柚べしそのままの形を残した“丸柚べし”だ。
全国の柚べしを食べ歩いた私は、矢掛と輪島の丸柚べしだけは
自信をもってお薦めるする。