洛中膝栗毛

京で食い詰めたへぼ写真家の竹斎 - 愛宕参りの帰りに鮎茶屋へ寄る ー そこでの顛末とは?

鮎茶屋 京の写真家として、一向に芽の出ない竹斎。道を尋ねゆくほどに鳥居本に出でる。ここはいたって賑やかにて、見世物小屋、大道芸人、読売り、講釈師などありて、そして葭簀(よしず)張りの水茶屋あり。 愛宕神社一の鳥居 愛宕神社へかかる道 一の鳥居…

『東海道中膝栗毛』 ー 北八けったいな古着を着ているので宮川町でおやまに笑われ、四条河原の芝居小屋でまた笑われるの巻

【北八】「ときに、ここらは何という所だの? ごうてきに、粋なタボ(女)がちらちらするわ…。」【弥次】「ハハア、紫ぼうしの野郎どもが見えるから、おおかた宮川町という見当だ。」 ※紫ぼうし…歌舞伎役者が用いた野郎帽子。売色の野郎などが舞台の外でも使…

弥次さん北さん - 京の古着屋に出まかせを語り、安値で着物を買うの巻

【北八】「思えば…つまらねエことになった。どうぞ古着屋でも見つけたら、どんなでも綿入れが一枚欲しいが、弥次さん、いい知恵はねエかの?」 【弥次】「なに、買わずとも良いにしたがいい。江戸っ子の抜け参りに、裸になって帰(けえる)るは、当たり前ェ…

弥次郎兵衛喜多八 五条新地で裸にされ古着屋を探すの巻(弥次喜多道中の作者が都の名物と京ことばに詳しいのは何故だろう)

花の春、紅葉の秋は、東西南北に名だたる勝景の地ありて、「賀茂川」 銘酒の樽とともに、人の心を奪い、京女、商人のよき衣 着たるは、他国に異にして、京の着倒れの名は、ますます西陣の織元より出、染め色の花やぎたるは、堀川の水に清く、釜もとの白粉、…

京の男衆の遊ぶ所 ー 五条新地で あんたこそケチだと言い合い 、弥次郎喜多八そこで遭遇した災難とは ?

東本願寺・渉成園 [ 弥次郎兵衛喜多八、清水寺参詣を終え三条の宿へ ]【北八】「モシ ちとものをお尋ね申したい。これから三条へはどうまいりやすね?」[ と、北八が問うに この女中、御所がた(内裏女中)と見えて北八の薄汚い旅姿を一瞥し… ]【内裏の女中…

『東海道中膝栗毛』 - 京名物 辻子の陰で大根と小便のとっかえっこ? (今回も弥次郎兵衛北八は下品ですw)

前回のつづき[ かくてその日も、はや七ッ(午後四時)頃とおぼしければ、いそぎ三条に宿をとらんと、道をはやめ行く。すると向うに小便タゴ(桶)と大根を荷いたる男が…… ]【肥取りの男】「大根小便しょっしょっ。クソはいらん…。」と節をつけて男が歌って歩…

『東海道中膝栗毛』 ー 清水の舞台からとんだ話と、坊さんにとんだ目に遭った話

[ 弥次郎北八、三十三間堂を北へさしてゆくに、往来ことに賑わしく、げにも都の風俗は、男女ともにどことなく、柔和温順にして馬子荷歩持(まごにかちもち)までも、洗濯布子の糊こわきを、折り目高にきなして、"あのおしやんすことわいな"(何をおっしゃい…

「東海道中膝栗毛」 ー 豊太閤の造営した方広寺大仏殿で弥次郎 柱の穴くぐりでトンだ目に遭うの巻

京の大仏殿の柱の穴くぐりの大きさは、大仏の鼻の穴とおんなじ?[ 奈良の東大寺大仏にならい、豊臣秀吉公が造営した方広寺大仏殿、本尊は廬舎那仏(るしゃなぶつ)の坐像身の丈六丈三尺、堂は西向きにして東西二十七間、南北は四十五間あり。弥次郎北八ここ…

「東海道中膝栗毛」 ー 大坂へ向ったはずが、どういう訳か伏見港に逆戻りし 伏見稲荷でウバ甘酒を飲むの巻

前回のストーリーの最後は、[ かくて船は、枚方を過ぎたころ、雨催いの空、にわかに暗くなり雨が降り出した。見る見る間に大雨となり、苫も役に立たず、着物を濡らす。乗合船は上を下へと大騒ぎ。大雨と強風にたたられ木の葉のように淀川の大波に翻弄される…

『東海道中膝栗毛』ー お伊勢参りのあと京の伏見にやってきた弥次郎・北八 くらわんか船で大坂へ向うが…の巻

弥二さん喜多さんの銅像(三条大橋西詰) 「道中膝栗毛」洛中偏東(あずま)の都、神田八丁堀に住む弥次郎兵衛、北八という二人連れのなまけもの、伊勢神宮を参拝したのち、大和路をまわり、青丹(あおに)よし奈良街道を経て、山城の宇治にかかり、ここより…