武蔵野は…遠くなりにけり ― 伊勢物語

 

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武蔵野の面影(平林寺境内)


芥川龍之介の小説に『藪の中』というものがある。黒沢映画『羅生門』の原作といえるもので、原作を読んでない方でも三船敏郎主演の映画(モノクローム)は見ていることと思う。
で、その映画は武蔵野の雰囲気のある場所で撮影された、そんな気がする。その場所とは、京都市の西方、粟生光明寺の境内の一画だったと記憶する。その場所は わたしがまだ若い頃、週に一度は散歩していたところなのだ。当時は『羅生門』の撮影地とは知らなかったけれど。

 

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平林寺通用門(昭和45年)


昔、ある男がいた。ある人の娘をぬすんで、武蔵野へつれて行く時に、(人の娘にしろ人のものを盗んだ以上)盗人であったので、国守に捕縛されてしまったのだった。男は、女を草の生いしげっている中にかくして置いて逃げたのだった。

(逃げた男を追って)道を来る者が「この草原は盗人が隠れているということだ」といって火をつけようとする。女は困って悲しんで、

武蔵野は今日は焼かないで下さい。いとしい夫も身をひそめて隠れています。私も身をひそめて隠れています。

と歌をよんだのを聞いて、女をつかまえて、捕えた男といっしょにつれて行ってしまったのだった。

 

 

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櫛形山

 
ここは原文でも読んでみたいので…。

昔、男ありけり。人のむすめをぬすみて、武蔵野へ率(ゐ)て行くほどに、ぬす人なりければ国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかにおきて逃げにけり。道来る人、「この野はぬす人あなり」とて火をつけむとす。女わびて、

  武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり

とよみけるをききて、女をばとりて、ともにゐていにけり。


【補説】
古今集の中にある素朴な古代の若い男女の春の野の草かげの恋の歌を、武蔵野の恋の事件に改作したものである。歌からみても娘は「若草のつま」と言っており、若い二人は相思相愛でいっしょに逃げたのであろうが、女の親にしてみれば許せぬことであったわけで、たいせつな宝のような娘をつれて逃げた男は盗人であったわけである。

伊勢物語』ー「武蔵野は」より。講談社学術文庫版 現代語訳・補説:阿部俊子


最近古典にハマっているみたいです^^;
半世紀前に武蔵野のイメージを追いかけて入間郡あたりを歩いてみたけれど、まだまだ畑は残っていたが、自分の持つイメージとはかけ離れていた。武蔵野は、魯山人の器に描かれたもの、あるいは酒井抱一の「夏秋草図屏風」、それともツルゲーネフの小説のなかでしかでしか見られないのだろうか(そんなあほな)。

子どもの頃遊んだ那須野が原や日光、それとも浅間山の麓あたりなら、まだ武蔵野の雰囲気が残っていそうな気はするのだが、さてどうでしょう(人それぞれ武蔵野のイメージを持っているのだろうけど)。

 

 

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