桐壺源氏って何のこと? 源氏物語の現代語訳 おすすめは?


はじめに
ドン・キホーテという名は子どもでも知っていることと思う。スペインの少しばかり古い小説に『ドン・キホーテ』という大人向け(!)の本がある。外国語大学の先生の話では、スペイン文学を学ぶ生徒でも最後まで読み通す者は滅多にいないそうである。原語でのことではなくて、和訳での話である。世間では面白いと伝わる小説でも意外ととっつきにくいらしい。
それは『源氏物語』にも同じことが言えるようで、古くから「隠公左伝桐壺源氏」(いんこうさでん きりつぼげんじ)という言葉がある。私は『春秋左氏伝』は一度も手にしたことはないけれど、『源氏物語』は原文、現代語訳とも読破しようといく度も挑戦したのだけれど途中で挫折している。そう…『源氏物語』を読もうとしても、あまりに難しくて、最初の「桐壺」のところで挫折してしまうことを「桐壺源氏」というのだそうな。


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紫式部歌碑(蘆山寺)



現代語訳はどれがいい?
それで源氏物語を現代語訳で読んでみようかと思い立って、では誰の現代語訳を読もうか、誰と誰との訳はどう違うのかと はたと迷ってしまう。それを過去に調べて書いたものがあるので、参考までに紹介するとしよう。


源氏物語』を読む
いつかは『源氏物語』を原文で読んでみたい、と思う人は少くないであろう。私もその一人ではあるが、思いついてから三十余年、いまだに全巻読破を達成していない。まずは現代語訳からと考え、書店に行っては、与謝野晶子谷崎潤一郎円地文子瀬戸内寂聴各氏の現代語訳を書棚から取出しては訳文をちらちらと比較してみたものである。訳の違いは、私の説明より寂聴さんの方が明快なのでその紹介。

晶子源氏物語は原文にこだわらない自由訳であったのに対して、谷崎源氏の特色は、原文にできるかぎり 忠実であろうとした点」「円地さんはたとえ紫式部の原文には書かれていなくても、私ならば、こう書くと 思ったところは自由に加筆されています」と寂聴さんは語る。

寂聴さんの訳文で、試しに“宇治十帖“を読んでは みたものの、読みやすいけれど印象のうすいのは私の読解力の足りなさに原因があるに違いない(笑)。

私は、原文の雰囲気を残しているものをという観点と訳文の格調の高さから谷崎潤一郎氏の訳(新々訳)を選んだ。そして読み進んだのであるが、原文の雰囲気を残している、格調のある文体とはいっても、これはまるで“原文” を読んでいるに等しい。谷崎潤一郎訳の現代語訳があればそれも欲しいと思う始末である(かなり誇張が過ぎたかな?)。

ということで谷崎潤一郎訳をいく度も挑戦しているのだが、未だに現代語訳さえ読破できていないのである。『平家物語』や『水滸伝』のように、読み進むごとに “血湧き肉躍る” という訳にはいかなかったのである。私がここで言っている谷崎潤一郎訳とは「新々訳」の三度目の現代語訳のこと。

現代語訳のおすすめは?
いろいろやってみて、私の出した結論は、谷崎潤一郎の昭和十四年~十六年発行の最初の訳、これ以外考えられない(まだ最後まで読んでないけど)。しかし最初の翻訳本は古書店かオークションでしか手に入らない上に、全二十六冊で数千円から数万円で取引されているので現実的ではない。なので中公文庫の新々訳をすすめることになる(新々訳は現代仮名遣いに直しただけではなく別物という感じがするのだけれど)。

谷崎潤一郎訳の特徴を訳者が語る
谷崎潤一郎訳は、本人が語るには「この作品は平安朝の上流の女性が作った写実小説であるという点に最も重きをおいて訳した。現代人に分からせることは大切であるが、そのためにみだりに意訳を試みて平安朝の気分を壊すことをしなかった。…これは源氏物語の文学的翻訳であって、講義ではなく、原文と対照して読むためのものではないのであるが、…原文と対照して読むのにも役立たなくはないはずであり、この書だけを参考としてでも、随分原文の意味を解くことが出来るようには、訳せていると思う」と言っている。


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左から源氏物語原文、潤一郎新々訳、潤一郎最初の訳



昭和14年ー16年発行の最初の訳は旧仮名遣い、旧漢字だけれど、流麗な文章といえる。こちらの方が紫式部が書いたのではないかとか、ひょっとしたら原文より女らしさが出ていて、格調の高さを言えばこれではないか、なんて思ったりして(笑)。紫式部の文体は肩肘が張っているような感じ。谷崎潤一郎訳は なで肩の文体といったならいいだろうか。
原文は漢文の匂いのようなもの、そして男くささが少し感じられて難しい。それは紫式部が子どもの頃から漢籍に親しんでいたせいかも知れない。はっきりいえば漢文や古典に親しんでいない現代人には文章が固いのだ。そして私の今回の翻訳本と原文双方への挑戦は、いく度目の挑戦だか片手の指では数えきれない。しかし、しかし、今のところ順調に進んでいる。


ためしに原文と谷崎潤一郎訳との比較をしてみよう。どの一節を選ぼうか、これがまた悩む。たとえばあの名高い「須磨」の巻の「月のいと花やかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりと思し出でて…」。あるいは、「夕顔」の巻の「八月十五夜くまなき月影に、ひま多かる板屋のこりなく漏り来て、見ならひ給はぬ住まひのさまもめづらしきに…」など、格好の文かなと思ったりしても、前後の文とのつながりを考えると読んでいて比較するにはどうもしっくりこない。

で、比較のことは一旦脇に置いといて、これは面白い文だわ、と感じたところを紹介することにした。まるで紫式部が書いたのではなく、現代人のプレーボーイが書いたような内容なのだ。紫式部の女を見る目、男を見る目、つまり人間観察がはっきり出ていて実に面白い。殿上人が四人集まって、女の品位(伴侶にしたい女?)を選ぶ基準を話し合ったりして、その内容は現代でも同じではないかと思ったりして。

実は紫式部は男だったのではないか、「帚 木」(ははきぎ)を読んでいてそう感じるのは私ひとりだけだろうか。そう思うのは男の気持ちがよく書けているからである。引用としては長い文章だけど、谷崎潤一郎の名訳で紹介してみたい。


帚 木」より ……谷崎潤一郎訳(最初の訳
光の君の一番親しい友、遊ぶのも戯れるのも一緒の頭中将(とうのちゅうじょう)との会話。舞台はたぶん内裏の光の君の宿直所(とのいどころ)。源氏十五歳、宮中の物忌みで宿直所にこもる源氏のところに頭中将が訪れて女の品定めに夜を明かす。すでに正妻葵の上がいる源氏だが、二人の間はどうもしっくりとはいっていないようなのだ。源氏はここで中流の女の魅力について教えられる(紫式部中流の出だった?)。
※読みやすいよう適当な部分で一行空けています。



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谷崎潤一郎訳(昭和14年ー16年刊)



……れづれの雨が終日(ひねもす)しとしとと降り暮して、しんみりとした宵のこと、殿上にも人が少く、御宿直所もいつもよりはのびやかな心地がするので、大殿油(おおとなぶら)を近く寄せて、書物などを御覧になるおついでに、傍の厨子の中にある、色とりどりな紙にしたゝめられた文どもを引き出されて、どんなことが書いてあるのかと、中将が無性に床しがられると、

「差支へのないのを少しは見せて上げませうが、見苦しいものもありますから」と仰せられて、なかなかお許しにならないので、「いや、その打ちとけた、端迷惑なくらゐ正直に書いてありますのを、見せて頂きたいのです。普通によくあるやうなのは、數ならぬ私などでも、相應に遣り取りも致しませうが、それぞれに、男のつれなさを恨んでゐる折々のとか、人待ち顔な夕暮れのとか、さう云ふのこそ、見所があるやうに存じます」とおせがみなされる。

その實もっと大切に御祕藏になってをられるやうなのは、斯う云う不用意な厨子などに取り散らして置かれる筈はなく、何處かへ深くお隱しになっていらっしゃるので、こゝにあるのは人に讀まれても差支へのない、二の町のものなのであろうが、仕方がなしにそれらを少しづゝ見せてお上げになると、「これはこれは、いろいろなのがありますね」と仰せになって、あて推量に、「此の文はあの人、こちらのはあの人」などゝおきゝになるうちに、巧くお中(あ)てになるのもあれば、非常に見當の外れた方へ狙ひをおつけになるのもあって、飛んだ疑ひをおかけになったりする。

此方はそれを可笑しう思し召したけれども、言葉ずくなに、何とか彼とか云ひはぐらかして、隱しておしまひになりながら、「あなたこそ澤山集めておいででせう。少し見せて下さいませんか。さうしたら此の厨子も快く開けてお目にかけます」と仰せになると、「お見せする値打ちのあるやうなものは、持ってゐさうもありませぬ」などゝ仰せられて、さてそのついでに、「女の、難の打ち所のない、これならばと思はれるやうなのはめったにゐるものでないことが、やうやう此の頃呑み込めて参りました。

尤も、表面だけの如才なさで文字なども達者に走り書き、折にふれての應答にもばつを合せると云ふのならば、可なり上手にやってのけるのも澤山ゐるだろうと存じますが、それも本當に、その方面の才能を取り立てゝ選び出す段になりますと、必ず及第すると云ふやうなのは非常に少なく、自分が知ってゐる事ばかりを銘々勝手に自慢をして、人を蔑むと云った風な、かたはら痛いのが多いのです。

たとへば親が附いてゐて、えらそうに祭り上げるので、まだうら若い年頃を深窓に育ってゐる間は、ほんの一面の事実だけしか世間に知られないために、實際以上に買ひ被られて、人の心を動かすこともあるでせう。又器量がよく、氣だてもおっとりしてゐる女の、娘時代のしょざいなさに、琴だとか和歌だとか云ふ果敢ないすさびを、人が稽古をするのを真似て己れも身を入れて稽古をし、自然に一藝を物にすることもあるでせう。

ところで媒(なかだち)をする人は、その女の不得手な方面を云はずに、得手な方面を取り繕うて吹聽しますので、此方はそれが噓であることを、推測だけで見ぬく澤には行きなせぬ。で、本當かと思って逢ってゐるうちに、先づ大概は見劣りがして来て、お座がさめるのが落ちなのです」と、嘆息すつやうに仰せになって、さすがに極まり惡さうにしていらっしゃる御様子に、その話の全部ではないが、多少はご自分も思ひ當られる節があるのであらう、「でも、全く何の取柄もない人と云ふのがあるでせうか」と、ほゝ笑みながら仰せられると、「さあ、まさかそんな相手でしたら、誰も欺されて云ひ寄りは致しますまいが、しかし全く取柄のない駄目な女と、これは素晴らしいと思はれるすぐれた女とは、その数が同じくらゐではないでせうか。

大體、人の品(しな)高く、立派な家柄に生れた者は、大勢の召使に冊(かしづ)かれてをりますから、缺点が隠れることも多く、自然様子が此の上もなくよく見えます。また中の品になりますと、人に依ってさまざまに心も違ひ、自分々々の特色と云ふものを持ってゐるところも見えますので、めいめいに著しい差別があります。一番下の品になれば、これは格別注意を拂ふ程のこともありませぬ」と、何も彼も心得ていらっしゃるらしいお顔つきをなさるのに、此方も根掘り葉掘りしたくおなりなされて、「その品と云はれるのはどう云ふこと、何に基づいて上中下の三つに分けるのです。

本來は高貴の家に生れながら、零落して世に埋れ、位も低く、人らしい扱ひも受けないのと、普通の人間が上達部などに成り上って、われは顔に邸の内を飾り立て、人に劣らじと思ってゐるのと、何處に區別を設けるのです」とお問ひになっていらっしゃる折柄、佐馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)とが、御物忌の宿直(とのゐ)にやって來る。兩人ながら世の好色者(すきもの)で、譯の分った話をする人達であるから、早速中将がお摑へになって、此のしなじなの判定について議論を闘はされるのであったが、中には随分聞き苦しいことなどもいろいろ物語れるのであった。


帚木を読み感じたこと

この後も夜明けまで四人が女の品々について議論し、自分が伊勢物語の主人公になったかのように武勇伝(?)を語りあう。藤式部丞が嫉妬深い女の話を語った後、皆は呆れて「その話は嘘だろう」と笑うところもあり、何だか現代の男どもの作り話にも似ている。そしてここからが帚木の面白いところなのだけれど、後はご自分でお読みください(^^)。

つくづく思うには、作者の紫式部後宮で宿直所などで男女のやり取りに聞き耳を立てていたのだろう。それは清少納言も同じだったように思う。そしてまた馬頭(うまのかみ)の言として言わせているのが、「すべて男でも女でも、下衆な人間ほど、自分の持ってゐる僅かな智識を殘らず外へさらけ出さうとしますのは、學門を、あまり奥深く究めますのは愛嬌がなさ過ぎますけれども、しかし女だからと云って、何も世間普通の公事や私事について、全く知る所がないとはかぎりませぬ。わざわざ習ひませぬまでも、多少頭の働く人は、自然眼や耳に留まることがあって、いろいろと覺えるものでございます。

で、さう云う中の生意氣なのが、漢字の走り書きなどをしまして、女同士の間で取り交す文(ふみ)などを、半分以上むづかしい文字で埋めたりなぞ致しますのは、何とも情(なさけ)なく、なぜもっとさう云ふ方面のことをしとやかにしないのであろうかと、殘念に思はれます。書く當人の心持ではそんな積りでないにしましても、漢字が多うございますと、音(おん)がごつごつ耳立ちますので、どうしてもわざとらしう響くのでございますが、かう云ふことは上臈の方々にも、例がないのではございませぬ。……」と、心当たりのある者には耳の痛いことを言う。案外清少納言のことを暗に批判しているのかな、なんて思ったりして。そして続いて歌論に入るのだった。


つづきはご自分で読んでください。『源氏物語』は最初の巻から読まなくても良いという訳者の方もいるので、興味のある巻から読み進むのもありかも知れない。 私の読書方は まず谷崎潤一郎旧訳を読み、主語など誰の言か分らない箇所、古語の意味が不明な箇所は新々訳で解釈し、最後に原文を読み和文を楽しむ、というやり方です。それでも原文は難しいです、はい。原文を読むようになってからは、新々訳はすらすら読めるようになりました。でも古文の味わいという点では薄まっているように感じるなあ。

 

 

 

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