弥次さん北さん - 京の古着屋に出まかせを語り、安値で着物を買うの巻




【北八】
「思えば…つまらねエことになった。どうぞ古着屋でも見つけたら、どんなでも綿入れが一枚欲しいが、弥次さん、いい知恵はねエかの?」
 
【弥次】「なに、買わずとも良いにしたがいい。江戸っ子の抜け参りに、裸になって帰(けえる)るは、当たり前ェだは…。」
※抜け参りとはー家族に黙ってお伊勢参りすること。むかしお伊勢さんの近くには、男の遊ぶ所があったので、それで裸になってけえるって言うのかもネ。
 

【北八】
「それだとって寒くてならねェ。」
 
【弥次】「そんなら幸いここに湯屋がある。なんと ちょっくり温まっていかねェか。」
 
【北八】「ほんに こいつは奇妙きみょう。弥次さんお先へ…ありがてェ。」
 
と、一目散にある格子造りの家の暖簾をくぐりて、すっと入り、駆け上がって、裸になろうとすれば、そこの亭主…
 
【亭主】「もしもし こなたさん誰じゃいな? 何さんすのじゃ!?」
 
と、咎められて、北八あたりを見廻し見るに、ここは湯屋でなし…
 
【北八】「エエいめェましい、湯屋かと思った…。」
 
【亭主】「ハハハハハ こちの暖簾に、湯の字があるさかい、それで銭湯かと思うてじゃの。ありゃ済生湯(さいせいとう)という、ふり出し薬の名じゃわいな。」
 
【弥次】「ほんに こいつは大笑いだ。」
 
【北八】「また一倍寒くなった。いめいましい。」

と、小言いいながら行くさきに、しみたれの古着屋一軒あり。店先に古布子、古あわせ吊るしあり、北八は弥次郎兵衛をくどきて、ぬのこ一枚求めんと、くだんの店に立ち、布子ひねくり回して、紺の布子をとって透かし見る…

※前回のあらすじはここで終ったので、そのつづき…



【北八】「もし、この布子はいくらだね?」

【古着屋の亭主】「ハイハイ、こっちゃへお掛けなされ。コレ、お茶もてこんかいな。お煙草の火もないわいな。赤いの(炭の赤くなったもの)一つチャット(早く)くさんせ。」

【北八】「いや、茶も煙草もいりやせん。こりゃぁ幾らだというに…。」

【亭主】「ハイハイ、そりゃきょうとうよござります。お安うしてあげわいな。」
     ※とんだよいということ、の意。

【小僧】「ハイ お茶あがりなされ。」

【亭主】「長吉、そりゃ おぬるい じゃないかいな。なぜ、熱い茶あげんぞい。」

【小僧】「いや、お家さま(お内儀さん)が、朝は茶粥じゃさかい、茶ちゃ焚くなとおっしゃってござります。その茶は昨日焚いたまんまの茶でござりますわいな。」

【弥次】いかさま、昨日の煮花ほどあってあって、とんと河童の屁のようだ。いや、屁のついでに、ビロウながら御亭主さん、手水にゆきたい。おうら(トイレの丁寧語)をチョット…。」

【亭主】「ハイハイ、雪隠(せついん)へお出かいな。」

【小僧】「雪隠は ぬるうはござりませぬ。よう沸いてじゃあろぞいな。」??

【亭主】「なにイ? 雪隠を誰が沸かしたぞい?」

【小僧】「それじゃてて、いんま(今)の先わたしが さんじたさかい、すぐ行て見なされ。ぽっぽと煙が出てじゃあろ。」

【亭主】「エエ、むさいこと云うやつじゃ。」

【北八】「そんなことより、この布子はいくらだェ?  早く決めてくんねェ。寒くてこたえられぬ。」

【亭主】「お寒くは、もっとそっちゃへ寄りなされ。そないによう陽が射してじゃわいな。昨日も着物買いにお出たお方が、こりゃき(気)ょうと疎)い、暖(ぬく)いうちじゃてて、そこに一ンチ日向ぼこしてい(帰)なれましたが、そのお方がもう、着物買うて着いでもだんない。毎日ここの家へ日向ぼこしにこ(来)うわいなと、こないに、云うてじゃあったわいな。」
※着物を着なくても構わないの意。

【北八】「エエ、じれってェ。こりゃあ売らねェのか、どうだな?!」と語気を強める北八。

【亭主】「ハイハイ、こ(買)うじゃわいな?」

【北八】「安くしてくんねェ。」

【亭主】「その紺のおひえ(女ことば)じゃな…。」

と、亭主算盤をパチパチ弾く…

【亭主】「三十五匁とんとギリギリじゃわいな。」

【北八】「高い たかい。わっちらは江戸の者だが、古着は商売柄で、いくらも取り扱っているから、やるもんじゃァねエ。本当のところを言いなせエ。」


【亭主】「はあ、御商売がらとあれば、おまいさんも古着屋なされてかいな?」

【北八】「イヤわしは、質商売さ。」

【亭主】「質とあれば何かいな。おとりなさるのか、置きなさるのかいな。」

【弥次】「置くのがこの男の商売さ。」

【北八】「それだから、質におく時の算用からしてかからにゃ買われやせぬ。この布子はどうしても、壱〆(銅銭で千文)より外は貸すめえから、弐朱(金一分の半分)ばかりに買わにゃァ損がいく。」

【亭主】「なに言いじゃぞいな。後家の質屋へもていても、金壱分はもの言わず貸すわいな。」

【北八】「とんだことを言う。どうして壱分貸されやしょう。」と、北八 質屋になった物言いやんか。

【亭主】「なに壱分つかん事はありゃしょまいがな。」と、亭主も質草を持ってきた気持ちになってるし。

【北八】「それともオメエ、じきにうけなさるか。」

【亭主】「うけるわいな。」

【北八】「そう言っても、あてにゃあならねエ。それよりかこの間の股引の出入りはどうしなさる。そして袷の時がしもあるし、それもオメエ、」子ども衆が脾胃虚(ひいきょ・脾臓と胃が弱った病)して患っているうえ、かみ(内儀?)さまが疫病で死なれたけれど、仏かかえて葬礼を出す工面が出来ぬと、たってのお頼み故、貸してあげたものを、義理の悪い。いっそのこと、この布子はその袷のかたに、只とって置きやしょう。」


【亭主】「アア これ申し、酷くやくたいもないことを言うてじゃわいな。わしが嬶(内儀)が、いつ疫病で死んだぞいな。あたけたいなこと言わすわいな。」

と、亭主大きに腹立てる。弥次郎兵衛口添えし…

【弥次】「いやどうもこの男は、口が悪くてなりやせん。亭主料簡しなせえ。そして何かと面倒な…。その布子も、壱貫にまけてやりなせえし。

【亭主】「よござります。朝商いじゃ、まけてあぎよわいな。シャンシャンシャンと手打ちじゃわいな。」

【北八】「先ずは、布子にありついた。」

と、弥次郎に代銭を払わせ、かの布子を着て、それまで着ていた木綿合羽を返し、この古着屋を出る。店の暖簾を見れば、「虎屋」とあるに思いよりて…一句。

  和藤内三貫あまりの古布子老一貫に求めこそすれ

※その意は、値三貫ほどの古布子を、一貫で手に入れた? 京商人の商い上手を後で思い知らされる北八だった。


それより北八は忽ちに元気を得て…

【北八】「なんと弥次さん、すさまじかろう。古着屋めを ちゃらぽこ(でまかせ)で、はぐらかして(気をそらせて)、一貫に見おとし(安値につける)は、やすいもんだ。見なせえし、まだ襟垢も付かねえものを。」

【弥次】「紺の看板と見えて、おいらのお共のようで、丁度いいのオ。」
      武家の紋を背に染め出した半天で主家の下男などが着るようだ

【北八】「ときに、ここらは何という所だの? ごうてきに、粋な たぼ(女)がちらちらするは。」



【弥次】「ハハア? 紫ぼうしの野郎どもが見えるから、大方宮川町という見当だ。
     ※売色の男が、紫ちり緬の帽子を使用したようだ

【北八】「来るぞくるぞ! きれいな妓(おやま)どもが来る。いい時おいらァ着物を買ってよかった。まんざら裸の上に弥次さんの木綿合羽じゃァ、あいつらにすれ違ってもげえぶんが悪い…。」


宮川町



と、北八にわかに襟かき合わせて、見栄をつくりながら、向うより来るおやま げい子にすれ違えば、一人のおやま振返り、北八を見て…


※ハイ今回はここまで…



【参考図書】
東海道中膝栗毛十返舎一九著 「日本古典文学全集」ー小学館刊・校注-中村幸彦
東海道中膝栗毛』七編「洛中膝栗毛」よりー意訳・編集:竹斎
 適宜、ひらかなを漢字に変換しています。