『東海道中膝栗毛』 ー 清水の舞台からとんだ話と、坊さんにとんだ目に遭った話

 


[ 弥次郎北八、三十三間堂を北へさしてゆくに、往来ことに賑わしく、げにも都の風俗は、男女ともにどことなく、柔和温順にして馬子荷歩持(まごにかちもち)までも、洗濯布子の糊こわきを、折り目高にきなして、"あのおしやんすことわいな"(何をおっしゃいますやら)と、なまめきたるもおかしく、二人は興に乗じ、目に見るものごとに珍しと、たどりゆくうち、はやくも清水坂にいたる。
両側の茶屋 軒ごとに扇ぎたつる、田楽の団扇の音かまびすきまで、呼びたつる声ごえ…]


【茶屋の女将】「モシナお入りなされ。茶ちゃあがってお出んかいな。…名物なんばうどん、あがらんかいな。…お休みなされ お休みなされ。」

【弥次】「北八、何ぞ食ってもいいが、もっと先へ行ってからのことにしよう…。」


[ と、ほどなく清水寺にいたり、境内をめぐり、音羽の滝を見る。本堂は十一面千手観世音なり。むかし沙門延鎮が夢中にえたる霊像にして、坂の上田村麻呂の建立とぞ。北八弥次郎兵衛、しばらく此の宝前に休む。傍らの小高き所に、机を控えたる老僧、参詣を見かけて… ]





【老僧ー偽の御影売り「当山観世音の御影はこれから出ますぞ。誠に霊験あらたなる事は、盲がもの言い、啞の耳が聞こえ、歩いてきたいざりが治る(??)。ひとたび拝する輩は、いかなる無病達者なりとも、たちまち西方極楽浄土へ、救いとらんとの御請願じゃ。どなたもいただいてお帰りなされ。冥加銭は沢山にお心もちしだい。御信心の方はござりませぬかな。」…この坊さん、ちぐはぐなことを言うてまんな(竹斎の独り言)。

【北八】「よくしゃべる坊主めだ。時に弥次さん、かの噂に聞いた、唐傘をさして飛ぶというは、この舞台からだな?」

【老僧】「むかしから当寺へ立顔の方は、仏に誓うて、是から下へ飛ばれるが、怪我せんのが、有りがたい所じゃわいな。」

【弥次】「ここから飛んだら、身体が微塵になるだろう?」

【北八】「折々は、飛ぶ人がありやすかね?」

【老僧】「さよじゃわいな。えては(時折)気のふれた わろ達が来て、飛びおるがな。この間も若い女中が飛ばれたわいな。」

【北八】「ハア 飛んでどうしやした?」

【老僧】「飛んで落ちたわいな。」

【北八】「落ちて それからどうしたね?」

【老僧】「ハテ 根どい(突き詰める)するわろじゃ。…この女中は罪障が深いさかい、仏の罰で目を回した(気絶した)わいな。」

【北八】「鼻は回さなんだかね?」

【老僧】「イヤ 瘡(梅毒)と見えて、鼻は無かったわいな。」

【北八】「そして気がつきやしたか。」

【老僧】「気がついていんだわいな。」

【北八】「いんでどうしたね?」

【老僧】「さてさて、しつこい人じゃ。それ聞いて何さんすぞい。」

【北八】「イヤ わっちが癖として、聞きかけた事は金輪際聞いてしまわねば、気がすまぬというもんだから。」

【老僧】「それなりゃ言うてきかそかい。それからその女中が全体そした地もあったかさいて、俄かに気が違うたわいの。」

【北八】「ハテな、気が違ってどうしたね?」

【老僧】百万遍をはじめたわいの。」

【北八】百万遍をはじめて、どうしやした?」

【老僧】「鉦(かね)を叩いて…」

【北八】「鉦を叩いてどうしたね。」

【老僧】「なむあみだんぶつ…」

【北八】「それから どうだね。」

【老僧】「なむあみだんぶつ…」

【北八】「コレサ 百万遍のあとは、どうしやした?」

【老僧】「なむあみだんぶつ…」

【北八】「その後わよ?」

【老僧】「ハテ せわしない。百万べんじゃわいの。…マア念仏すましてからのこといの。」

【北八】「エエ、その念仏、百万べん済むまで待っているのか。…途方もねえ。」

【老僧】「イヤこなさん、聞きかけたことは、根掘り葉掘り聞かんせにゃならんと、言うたじゃないかい。まちと辛抱して聞かんせいな。退屈なりや、こなさんたちも百万遍手伝うて下んせ。」

【北八】「コリャ 面白かろう。弥次さん、おめえもこけえ掛けなせえ。さあさあ、なむあみだァんぶつ。」

【老僧】「とてものことに、鉦いれてやろわいな。」と無性に鉦を打ち鳴らし「ハアなまいだア、チャンチャン。」

【北八】「コリャごうてきに面白くなった。なまだア なまだア…」

【老僧】「わしや手水(トイレ)してくるうち、たのみます。」


[ と、老僧(実は偽の御影売り)北八に鉦をつきつけ、どこへやら行ってしまう。北八は夢中になり… ]


【北八】「ハア なまだア なまだア。チャンチャンチキチ チャンチキチャン…」

【弥次】「北八てめえ、鉦の叩きようが下手だ。こっちへよこせ。」

【北八】「なに如才(手抜かり)があるもんか。チャンチャン なまだア なまだア チャンチャンチャンチャン…」


[ と、夢中に叩き立て騒ぐゆえ、内陣の番僧 いで来たり、このていを見て肝をつぶし… ]


【番僧】「これなこれな、わごりょ達はどしたもんじゃぞい。勧化所にあがって無作法な。」丁寧な二人称


[ と、叱られて二人は心づき キョロキョロして… ]


【北八】「ハア 今の坊様はどけへ行った。まだ中回向も済まぬうち。」

【番僧】「なに戯言いうのじゃ。ここをどこじゃと思うてじゃぞい。」

【北八】「はい、ここは清水、敦盛さんの墓所とけつかる。」

【番僧】「コリャおのれ、気が間違うておると見える。」

【北八】「気ちがいゆえに此百万遍。」

【番僧】「何ぬかしくさるやら。とっとと出ていなんかい。ここは御祈願所じゃぞ!」


[ と、声高に言ううち、勝手(控えの場所)より、棒つきて出、追い払うに、二人はそうそう、この坂をおり立て… ] 警備の者が棒をさげて来た。


【北八】づくにうめが、とんだめにあわした。」坊主めが、飛んだ目に遭った、の意か?


ここで一句

  舞台からとんだ話は清水にひやかされたる身こそくやしき


この山内を下りゆく先に、、清水焼の陶造(すえものつくり)、軒を並べて、往来の足をとどむ。ここの名物なり。

かくてその日も、はや七ッ(午後四時)頃とおぼしければ、いそぎ三条に宿をとらんと、道をはやめ行く。すると向うに小便タゴと大根を荷いたる男が……



三年坂付近の陶磁器店


※つづきます


【筆者より】

東海道中膝栗毛』を読んだことがなくても "弥次さん北さん" の名前を知らないもの
はほとんどいないであろう。かく言うわたしも最近ひょんなことから「読んでみよう
か」と思い立ち、そして読みはじめたところなのである。

現代語訳を読もうと考えていたのだけれど、手に入った本は当時の文のままの本だっ
た。でも読むのにはそれほど難しくはない。注釈を参考にすれば何とかなる。注釈なん
ぞほっておいてもいい。

読んで見て感じたことは、200年前の江戸後期(文化)ころの江戸弁、大阪弁、京都弁
をはじめ各地の方言が学べること(だからどうだって)。そして肝心なことは、風俗も
学べるし。この本は当時のベストセラーだったみたいだし、大名から庶民(識字率が高
まっていた時代)までこぞって読んでいたみたいなのだ。こんな内容の本は世界でこれ
だけ(!)なんだとか。




参考図書】
東海道中膝栗毛十返舎一九著・「日本古典文学全集」ー小学館刊・校注-中村幸彦
意訳・改編(ほんの少し):筆者-竹斎


 

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