弥次郎兵衛喜多八 五条新地で裸にされ古着屋を探すの巻(弥次喜多道中の作者が都の名物と京ことばに詳しいのは何故だろう)

 

 

花の春、紅葉の秋は、東西南北に名だたる勝景の地ありて、「賀茂川」 銘酒の樽とともに、人の心を奪い、京女、商人のよき衣 着たるは、他国に異にして、京の着倒れの名は、ますます西陣の織元より出、染め色の花やぎたるは、堀川の水に清く、釜もとの白粉、川端の「ふしのこ」(お歯黒)は、ゆきをあざむき、御影堂の扇、伏見のうちわに、風匂う革堂前の粽、円山かるやき、大仏餅、醍醐のウド芽、鞍馬の木芽煮は、『庭訓往来』にいちじるく、東寺の蕪、壬生の菜は、名物選にはなたかし。




名産品の数多ある都に、たまたま入り込んだ弥次郎兵衛-喜多八。京の遊所地-五条新地で一杯機嫌に、早のみ込みして丸裸となりたる、喜多八(着た八)の名にも似ず、同行の弥次郎兵衛が木綿合羽を、借り着せしほどの仕合なれば、かかる洛陽の地もおもしからず、うかうかと、五条新地もどりの朝風、身にしみわたり、五条の橋に差し掛かりたるに、此処は いにしえ、弁慶の千人切し給う所とあれば、きた八しおしおと打かたぶきて狂歌を詠む…
 

  かかる身はうしわかま丸のはだかにて弁慶じまの布子こいしき





かくて東に渡りて、河原院の旧跡、門出八幡も素通りして、高瀬舟の綱に引かれてたどり行く道すがら…


【北八】「思えば…つまらねエことになった。どうぞ古着屋でも見つけたら、どんなでも綿入れが一枚欲しいが、弥次さん、いい知恵はねエかの?」
 
【弥次】「なに、買わずとも良いにしたがいい。江戸っ子の抜け参りに、裸になって帰(けえる)るは、当たり前ェだは…。」
※抜け参りとはー家族に黙ってお伊勢参りすること。むかしお伊勢さんの近くには、男の遊ぶ所があったので、それで裸になってけえるって言うのかもネ。
 
【北八】「それだとって寒くてならねェ。」
 
【弥次】「そんなら幸いここに湯屋がある。なんと ちょっくり温まっていかねェか。」
 
【北八】「ほんに こいつは奇妙きみょう。弥次さんお先へ…ありがてェ。」
 
と、一目散にある格子造りの家の暖簾をくぐりて、すっと入り、駆け上がって、裸になろうとすれば、そこの亭主…
 
【亭主】「もしもし こなたさん誰じゃいな? 何さんすのじゃ!?」
 
と、咎められて、北八あたりを見廻し見るに、ここは湯屋でなし…
 
【北八】「エエいめェましい、湯屋かと思った…。」
 
【亭主】「ハハハハハ こちの暖簾に、湯の字があるさかい、それで銭湯かと思うてじゃの。ありゃ済生湯(さいせいとう)という、ふり出し薬の名じゃわいな。」
 
【弥次】「ほんに こいつは大笑いだ。」
 
【北八】「また一倍寒くなった。いめいましい。」

と、小言いいながら行くさきに、しみたれの古着屋一軒あり。店先に古布子、古あわせ吊るしあり、北八は弥次郎兵衛をくどきて、ぬのこ一枚求めんと、くだんの店に立ち、布子ひねくり回して、紺の布子をとって透かし見る…

ハイ、今回はここまで。

 
※つづきます

東海道中膝栗毛』の作者(十返舎一九)が都の名物と京ことばに詳しいのはどうしてだろう。
日本人なら誰でもが知っている弥次さん喜多(北八)さんの滑稽道中の物語。この有名な作者の伝は、今もって明らかにはなっていないようだ。
中村幸彦氏によると、姓は重田、字は貞一で静岡の生まれだという。

十返舎一九本人の弁によると二十代の頃に浪速に七年住んでいて、都へは用事で行くことはあってもそれほど詳しくはない、と語っている。でもどうしてどうして道中膝栗毛の六編及び七編を読むと、都人の性格、京ことばを余すことなく描いているのには感心する。とりわけ京をんなのイケずは核心をついている描き方だ。

六編を書こうと思い立ち準備をしていた所、火事に遭い京に上ることを諦めたという。それで若い頃見た都を思い出して書いたのだという。


【参考文献】
東海道中膝栗毛十返舎一九著 「日本古典文学全集」ー小学館刊・校注-中村幸彦
東海道中膝栗毛』七編「洛中膝栗毛」よりー意訳・編集:竹斎
 適宜、ひらかなを漢字に変換しています。