前回のつづき
[ かくてその日も、はや七ッ(午後四時)頃とおぼしければ、いそぎ三条に宿をとらんと、道をはやめ行く。すると向うに小便タゴ(桶)と大根を荷いたる男が…… ]
【肥取りの男】「大根小便しょっしょっ。クソはいらん…。」と節をつけて男が歌って歩いて来る。
【北八】「ハハハハハ 唐茄子が笛を吹いた見世物は見たが、大根の小便するのは、ついど見たことがねェ。」
【弥次】「※あれがかの、京名物の大根と小便と、とっけえにするのだろうよ。」
※さても小便を寵愛するは京の百姓で、北は八瀬、大原、南は高瀬舟で伏見方面へ舟で持ちかえっていたようだ。十返舎がかかる風習を誇張して書いたのを当時の読者は喜んだのであろう。
【肥取りの男】「大きっな大根と、小便しょっしょっ。」
[ と、歌って行くこなたより、お中間(公家や武家屋敷の下級召使)らしき、しみたれの男が二人 ]
【中間ちゅうげんの男二人】「コリャ コリャ、わしら二人がここで小便してやろが、その大根三本おくさんかいな(おくれでないか)。」
【肥取りの男】「マアこち来てして見さんせ。」
[ と、路地裏へ二人を連れてゆく。弥次郎北八、これを見て、どうするのだろうと、あとよりついて行き、立ちどまり見れば… ]
【肥取りの男】「サア ここでやらせんかいな。」
[ と、小便タゴを下しなおすと、一人の男… ]
【中間の男】「アリャ わし先やろわい。」
[ と、このタゴ(小便桶)のうちへ、二人ながら小便してしまうと肥取りの男、タゴを傾けて… ]
【肥取りの男】「もうこれきりで出んのかいな。おっきい いちもつのわりにしみったれやなぁ…。」
【中間の男】「うちどめに屁が出たから、もう小便はそれぎりじゃわいな。」
【肥取りの男】「コリャ あかんわい。ま一度よう腰を振って見さんせ。」
【中間の男】「はて小便くすねておいて何しょうぞい。ありたけしたんで、のけたわいな。」
【肥取りの男】「それじゃ大根三本は、ようやれんわいな。… 二本もてかんせ。」
【中間の男】「これ 小便は少のうても、こちとらがのは、代物がエイわい。よその京の使用人が茶粥ばかり、食うておるのとは違うて、こちや肉ばかり、食ておるがな。」
【肥取りの男】「それじゃてて、あんまりじゃわいな。」
【中間の男】「はて やかましう言わすんな。家へもていんで水混ぜりゃ、三升ばかりにはなろぞいな。早う大根三本くさんせ。」
【肥取りの男】「そないにくせくせと言うたてて、これで腐るもんじゃないわいな。そこらへ居て、茶なと飲んできて、まちっとやらんせ。」
[ と、やつつかえしつ言うているを、弥次郎兵衛北八おかしく見ていたりしが… ]
【北八】「モシモシ、幸いわっちが小便したくなったから、不躾ながら、おめえがたに上げやしょう。これを足して、大根三本取りなせえ。」
【中間の男】「お心ざしは、おかたじけのうござりますが、それじゃお気の毒さまじゃわいな。」
【北八】「はて いいわな。どうせ、わっちもありあわせたもんだから、あまり軽少なれどハハハ…。」
【中間の男】「ほな お小便いただきましょかいな。」
[ と、小便タゴを北八の前へもって来たりなおす ]
【北八】「イヤイヤ やっぱりそれに置きなせえ。わっちがのは、一二間づつ向うへはしります。」と、元気の良いところを見せる。
【肥取りの男】「コリャ ※きょといきょとい。イヤおまいのは地ではないわい。とかく小便は関東がよござります。地のは薄うて値打ちがない。」※とても良いという意味
【北八】「もちっと早いと、まだ出たものを。わっちは生れついて小便ちかいから、普段小便タゴを、首にかけて歩いた男さ。」
【中間の男】「そりゃ おうらやましいこっちゃ。」
【肥取りの男】「さよならおまい、このタゴ(桶)を首にかけておいでんかいな。わしゃどこまでもお供していこわいな。」
【北八】「イヤ 近ごろは、そのようにもネェのさ。」
【肥取りの男】「お連れさまもあるそうじゃ。モシ おまいもついでに、手水してお出んかいな。」
【弥次】「イヤわしは前かたは、いちどきに小便の壱斗や二斗する分は、ねから苦にも思わなんだが、どうしたことやら、近年は小用づまりで、さっぱり出ぬには、困り果てる。」
【肥取りの男】「ハア 小用づまりなら、エイことがあるわいな。一気に良うなるこっちゃ。」
【弥次】「どうすると良くなるんでェ?」
【肥取りの男】「アノ 酒屋などで、酒の樽の吞口から、思うように、酒の出んことがあるもんじゃわいな? そないな時は、樽の上の方へ、錐モミして穴あけると、じきに下から、シュウシュウと酒が走るものじゃさかい。おまいの小用の詰まらんしたのも、額ぐちへ錐モミさんしたら、すぐに小用が通じるじゃあろぞいな。」
※オオッ 前立腺肥大の対応策が見つかった!?
【北八】「ハハハハハ こいつはつは面白ェや。時に遅くなった。弥次さんサア行きやしょう。」
[ と、向うより、かつぎを着たる女のニ三人づれ、さすが都女郎の風俗しなやかにて、いづれも色白く、透き通るばかりの美人。北八うつつをぬかして…]
【北八】「ヒヤアー ※いきた女がくる。綺麗きれい。」
※御殿女中の派手なさまを表現
【弥次】「冗談(ふざけた)な女どもだ。みんな着物をかぶってくるわ。」
【北八】「あれが被(かつぎ)というものだの。あの美しいやつと、俺がものを言って見せようか。へへへ…」
[ と、北八かの女中の側へ走りゆきて… ]
【北八】「モシ ちとものをお尋ね申したい。これから三条へはどうまいりやすね?」
[ と、北八が問うに この女中、御所がた(内裏女中)と見えて北八の薄汚い旅姿を一瞥し… ]
【内裏の女中】「わが身三条へゆきやるなら、この通りを下がりやると、石垣という所へ出やるほどに、それを左へゆきやると、つい三条の橋じゃわいなァ。」
[ と、いったい御所がたの女中は、人を人とも思わず、ちときいたふうの男と見ると、悪くひやかす風ゆえ、五条の橋を三条と教えたのだ ]
【北八】「はい これは有がとうござりやす。」
[ と、北八 京女の イケズを何も知らねば、礼を言ってしばらく行きすぎ…]
【北八】「弥次さん、アリャなんだろう? ごうてきにおうふうな女どもだ。」
【弥次】「ハハハハハ とんだやすく取扱われやがった。ごうさらしめ。」
[ と、やがて、かの石垣と言えるを打ち過ぎ、左の方へと教えられたる道すじを、三条へ行くと 心得、早くも五条の橋にいたりし頃は、はや日暮れてきたのである ]
※つづきます
【参考図書】
『東海道中膝栗毛』十返舎一九著・「日本古典文学全集」ー小学館刊・校注-中村幸彦
意訳・改編(ほんの少し):筆者-竹斎
「明治初期の京の公衆トイレ事情」 ごみ文化歴史研究会 山 崎 達 雄