『東海道中膝栗毛』 ー 北八けったいな古着を着ているので宮川町でおやまに笑われ、四条河原の芝居小屋でまた笑われるの巻

 





【北八】「ときに、ここらは何という所だの? ごうてきに、粋なタボ(女)がちらちらするわ…。」

【弥次】「ハハア、紫ぼうしの野郎どもが見えるから、おおかた宮川町という見当だ。」
     ※紫ぼうし…歌舞伎役者が用いた野郎帽子。売色の野郎などが舞台の外でも使用した。

【北八】「来るぞ 来るぞ、きれいな妓(おやま)どもが来る。いいとき俺らァ着物を買ってよかった。まんざら裸のうえにその木綿合羽じゃァ、あいつらにすれ違っても、げェぶん(外聞)が悪い。」

と、北八にわかに襟掻き合わせて見栄をつくりながら、向うより来るおやまげい子(野郎?)にすれ違う。すると一人のおやま振返り、北八を見て…

【おやま】「はつねさん見なませ、あの人さんのきりもん(着物)に、おっきな紋がついてじゃわいな。オオおかしオホホホホ。」

【はつね】「ほんに あほらしい人さんじゃ。オオ好かんやの。オホホホホ…」

と、イケずな京をんな打ち笑い行きすぎる故、弥次郎兵衛も心付きて…

【弥次】「おやおや北八、手めエの着物を見や。背中の横ちょに、大きな紋所が、くっついていらァ!」

【北八】「どこに どこに?」

と、振り返りよく見れば、幟(のぼり)を紺に染めたる布子ゆえ、ちょっと見ては知れねども、日当たりへ出ると、大きな紋所ありありと透いて見ゆる。

【北八】「こりゃ 大変たいへん!」

【弥次】「ハハハハハ 裾のほうには、鯉の滝のぼりが見えるから、こいつ幟のはぐらかし物(ごまかし物)だな。鍾馗様のお顔も見えるぞ。」

【北八】「エエ、古着屋めがとんだ目に遭わしやァがった。どうりで安いと思った。ぶんのめして来よう!」

【弥次】「なに、打っちゃっておきやれ。みな手めえが べらぼうからおこったことだ。さきは商売だものを、仕方がねエ。」

【北八】「エエ いめエましい!」

と、マジメになりて つぶやきながら四条通りに出れば、名にしおう鴨川の東の生粋、祇園町の繁盛は…両側の芝居、やぐら太鼓を打ちまじえ、天からの音 勇ましく狂言名題看板はなやかに、揃いの派手模様着かざりたる東西の木戸番、しわがれ声にて…






【木戸番】「さあさあ、評判じゃ評判じゃ。今が三五郎の腹切りじゃ腹切りじゃ。この後が、あら吉と友吉が所作(歌舞伎中の舞踊劇的な場面)ごと。評判 評判 評判…」

と、呼びたつる。江戸で火縄というは、京大坂にては皆 女なり。芝居小屋の女…北八弥次郎兵衛の袖を引いて…

【 女 】「もしな…おまいさん方、ひと幕、見てお出んかいな。」

【北八】「いかさま、なんと弥次さん、京の芝居もひときり見ようじゃァねえか。」

【弥次】「面白かろう。女中いくらで見せる?」

【 女 】「よござりますわいな。わたしがどうなとするさかい、マアお出なされ。」

と、二人を両方の手に引っ張り、引連れて芝居へ入り、二階へ上がると、桟敷番来たり、二人を向う桟敷の前側へ入れる。もっとも幕の内にて、中売りの 商人声々に…

【あきんど】「みづからァ(昆布菓子)、宇治山ァ うぢやま(落雁)、饅頭よいかいなァ…」「茶ァあがらんかいなァ。茶屋どうじゃいなァ…」「エエ…番付絵本…番付絵本…」

【弥次】「ごうぎに大入りだ。しかし江戸の芝居の半分でもねエ。」

【北八】「アア 退屈だ。一ッぱい飲みたくなった。」

【弥次】「俺ァ腹がへりまの大根だ。菓子でも買って食おう。」

と、そこへ物売りが…

【あきんど】「みづからァ、宇治山ァ、饅頭よいかいなァ…」

【弥次】「なんだ、手づから打っちゃるって? 勝手にさっせエ。」と冗談をいう弥次さん。

【あきんど】「饅頭どうじゃいなァ…」

【北八】「こいつがいっち分っている。これ饅頭三つ四つくんなせェ。」

【あきんど】「はいはい、三文づつでござります。」

すると、隣の席の見物客が…

【見物客】「これ 饅頭屋さん、どしたもんじゃぞい。こちの弁当へしつぶしじゃ。」

【あきんど】「はいはい、お許しなされ…」

【弥次】「アイタタタタ…ごうぎに わっちの足を踏んだ。」

【あきんど】「はい、これはもしちとお許しなされ。」

【北八】「こりゃ どうしゃァがる人の頭の上を、金○引きずって通りやァがる。エエ、汚ねエ きたねェ!」」

と、となり桟敷の見物客、太郎兵ェさん…

【太郎兵ェ】「おおっ、権兵ェさん、何買(か)うてお出たぞいな?」

【権兵ェ】「太郎兵衛さん、待ってじゃろ。わしや、今ァこの桟敷でな、気疎味い(けうとううまい)もの食うてじゃさかい、それ見ていて、遅なったわいな。さあさあこないもんじゃ。」

と、竹の皮づつみを出す

【太郎兵ェ】「ハア、鯖のすもじかいな。こりゃ きょといきょとい。その飯は弁当の代わりにして、さかなはへがして、酒のさかなにさんせ。それがよいわいな。」

【権兵ェ】「さよじゃ、竹の皮はもていんで、草履の鼻緒たてるわいな。いや、ときに一杯やろかいな。」

と、小さなちょくを取出し、風呂敷につつみし、徳利より注いで飲む。北八これを見て、小声になり…

【北八】「弥次さん見ねエ、旨そうに飲みおるが羨ましい。」

【弥次】「エエ、いめエましいことを言う男だ。」

【北八】「これ 坊ちゃん、おまん一つあげやしょう。」

と、北八おのれが食い残した饅頭ひとつ、隣桟敷の子どもにやる。これにてあしをつけて、酒を飲もうという下ごころなり

【太郎兵ェ】「これはお有難うござりますわいな。」

【北八】「おめエがたァ、よいものをあがりなさる。」

【太郎兵ェ】「おまいもお酒はお好きかいな?」

【北八】「さようさよう、飯よりは好物さ。」

【太郎兵ェ】「そりゃ よいお楽しみじゃわいな。これ権兵エさん、も一ついただこうかいな。オトトトト こりゃよい酒じゃな。」

【権兵ェ】「さよじゃ。ほんにお隣のお客、御退屈じゃあろ。コレなと一つあがらんかいな?」

と、ちゃわんを差しい出す。北八しめしめと手に取るより早くいただきて…

【北八】「はい、有難うございやす。」

【太郎兵ェ】「しかし、冷めはせんかいな。もしお銚子ごと、それエあぎよわいな。」

と、茶屋の土瓶を北八に渡せば、もっけな(怪訝な)顔して受取り注いで飲めば…ぬるい茶なり…(アハハ)

【北八】「エエッ 茶かいな!? ぺっ ぺっ!」と騙された北八

【太郎兵ェ】「おぬるなったじゃろ?」

【北八】「とてもぬるい序でに、どうぞコレへその徳利のをうめて下さりませ。」

【太郎兵ェ】「これはしたり。コレ見なされ。こないになったわいな。」

と、太郎兵ェ 徳利を逆さまにして見せる。」

【弥次】「ハハハハハ ごうさらしな。」

と、北八ちいさな声で…

【北八】「いめエましい。饅頭ひとつ棒に振ったァ。」

と、ブツブツ口の内に小言を言いながら、ふくれていると此の内楽屋にて拍子木…カッチカッチと鳴りわたる…

【見物人】「イヨッ! 口上様ァ…」

【口上】「とざい…とうざい…」

と、拍子木、カッチカッチカッチカッチ……と鳴りわたる…。と此の内口上も済み、幕の内にて…太鼓 てんてんてれてつくてんてん…

そして幕がひらくと、花道より仕出しの役者、大勢出ると、見物のわる口…

【見物】「イヨッ大根(だいこ)十把握ひとからげじゃァ」

【北八】「なに 大根とは? あの役者のことか。何のこった…。」

【見物】「よう…でけますの。」大根がたくさんの意?

【北八】「ありがてへと申しやす。」

と、この北八いたって芝居好きゆえ、幕が開くと夢中となり、何もかも打ち忘れて、無性に大きな声して褒めるゆえ、見物皆々おかしがり、北八の方を見ていると…

【北八】「ようよう大根め大根め! 」

この大根ということは、上方にては、役者の下手なものを大根という。北八そのわけは知らず、人が大根大根というを、聞いたふうに、役者さえ見ると、大根大根と呼びたつるを、見物人、北八を小ばかにして…

【見物】「イヨッ 盲禄さまァ。」と北八をわらう。

上方にて盲禄というは、江戸にていう折助ということ也。北八が紺の布子を着ているゆえ、見物は看板着たると思いて、斯くいうなれど、北八盲禄のわけを知らねば…

【北八】「弥次さん聞いたか。こっちの役者には、色々のへんちきな名がある。大根(だいこ)だの盲禄だのと、よもや俳名(はいみょう)じゃぁあるめえ?」

【弥次】「大かた役者の仇名だろう。」

【北八】「そんなら今出た役者が盲禄だな。ようようッ…盲禄ありがてえぞ。」

と、いうと、見物人からどっと落ちがきて(拍手喝采で笑われ)、狂言は見ずに、北八の方ばかり見て、どどッと笑いながら…

【見物】「イヤッ、向う桟敷の盲禄さま、大でけ大でけ。阿保よ アホよ向う桟敷のあほうやあい。」

【北八】「なんだ、向う桟敷の盲禄たァ、なんのこった!? はなったらしめら。」

【弥次】「ハハハハハ、はなったらしたァ手めえのこったわ。」

【北八】「なんでなんで…?」

【弥次】「上方で盲禄というは、折助のことだわ。手めえ紺の看板を着ているから、それでみんなに冷やかされるのだわ。」

【北八】「エエッそうか。そんならとっくにそう言ってくれればいいのに。」

【見物】「阿保よ アホよ。」

【北八】「エエッ、いやこいつらは、ふてえやつらだ。」

と、北八が無性に力むと、見物みなみな騒ぎたち、喧嘩はよよと大騒動となると、桟敷番四五人来たり、北八を捕え、引き出さんとする。

【北八】「こりゃ俺をどうする!」

【桟敷番】「おまい狂言の邪魔になるわいな。こちごんせ。

【見物】「そいつはよういなせ(鯔?)ヤイ。」

【北八】「なに抜かしやァがる。」

【桟敷番】「ハテ良いわいな。」

【弥次】「コリャきさま達、この男をどうする?」

【桟敷番】「イヤおまいもごんせごんせ(来い来いの意?)。」

と、二人を宙に釣り上げ、下へかきおろし、口々に何の彼のとべちゃくちゃ、丸められてのぼせ上り(逆上)、せんかたなく…「エエ面倒だ」と両人こごとたらたら芝居小屋を出て祇園町の方に赴く…

【北八】「エエごうさらしなハハハハハ」

そこで一句

     木戸銭を棒に古手の布子にて芝居も紺のだいなしにせし


それよりゆきゆきて祇園の社にまいる。…




出雲阿国

 



 
※長くなるので 今回はここまで(まだまだ先があります)。



【参考図書】
東海道中膝栗毛』ー の内七編「洛中膝栗毛」より・意訳:竹斎 適宜ひらかなを漢字に変換