清少納言 「偲びあうところは?」

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“人目をしのんで男女が逢っている所にあっては、夏が趣がある。
ひどく短い夏の夜がもう明けてしまうので、一晩中まったく眠ら
ないで朝を迎えてしまう。そのまま、どこもかしこも、昼間と同
じようにようにあけ放したままにしてあるので、涼しくすっかり
あたりも見渡される。そんな所でやはりもう少し話し残したこと
があるので、お互いに受け答えなどしていると、座っているすぐ
その真上から、烏が高く鳴いていくのこそ、まるで誰かにこの場
を見られているようなあらわな気がして、おもしろい。

また、冬のたいそう寒い夜、夜具に埋もれて寝たまま聞いている
と、鐘の音がまるでなにかの底で鳴るように籠って聞こえるのは、
とてもおもしろい。
鶏の声も、はじめのうちは羽の中にくちばしを埋めたように鳴く
声が、口ごもったように鳴くので、とても深く遠い所からのよう
に聞こえるその声が、しだいに明けてくるのにつれて近々と聞こ
えるのも、おもしろい。
…『枕草紙』第六十九段

 

男勝りで気の強い清少納言と思われているが、
意外にも心やさしい所や女らしい所がある。
想像だけでは書けるものではないだろう、と
思う章段がたびたび出てくるのだ。清少納言
のまわりには、精神的に深いつながりのある
男が二三人出てくるのだが、それ以上の進展
がない。年若くして諦観したような所がある
ように思えるのだ。