「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、
六千の、これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った
町である。」……
「津軽の人でなくても、この年表に接しては溜息をつかざるを得ないだ
ろう。大坂夏の陣、豊臣氏滅亡の元和元年より現在まで約三百三十年の
間に、約六十回の凶作があったのである。まず五年に一度ずつ凶作に見
舞わられているという勘定になるのである。」…太宰治『津軽』より
津軽地方の凶作年表
和 暦 凶作 政治・社会・文化
天明二年 大凶 秋田藩の能代で米価騰貴に苦しむ市
民、米商宅を うちこわす。和泉大鳥・
泉両郡の農民、庄屋宅をうちこわす
天明三年 大凶 大阪で米価騰貴・米買占のため うちこ
わしが起きる。青森・盛岡・仙台など
各地で うちこわしが起きる。幕府、百
姓一揆取締令を出す。この年、冷害の
ため諸国大飢饉。奥羽地方餓死者多
数。浅間山噴火
天明六年 大凶 老中田沼意次失脚。幕府、諸国酒造米
高の減醸令を出す。備前・備中・備後
の農民、凶作飢饉・米価騰貴で蜂起す
る。関東・陸奥・未曾有の大洪水、江
戸の被害大。諸国大凶作
天明七年 半凶 この春夏、諸国大飢饉
寛政一年 凶 クナシリ島のアイヌ反乱を起こす。松
前藩これを鎮圧する
寛政五年 凶
寛政十一年 凶 江戸・大阪で米価騰貴のため うちこわ
しが起きる。
文化十年 凶 信濃善光寺町で問屋うちこわされる。
富山藩農民、豪商・村役人を うちこわ
す
天保三年 半凶 筑後竹野郡の農民、郡内一帯の大庄屋
を うちこわす。この冬、阿波美馬郡辻
町の農民、組頭を うちこわす
天保四年 大凶 兵庫・青森などで米価騰貴のために騒
動が起きる。幕府、江戸市中の米穀払
拭につき蔵米を払い下げる。江戸・大
阪・小浜・広島など全国各地で米価騰
貴・米買占に対して騒動・うちこわし
が起きる。この冬、風水害により奥
羽・関東飢饉
天保六年 大凶 秋田藩の能代で物価騰貴に苦しむ市
民、豪商をうちこわす。この頃、滑稽
本・人情本さかんに流行する
天保七年 大凶 越前勝山・加賀石川郡・能美郡、駿府
でうちこわし。甲斐郡内の貧農・日
雇・大工ら、武装蜂起して甲府城下に
迫る。三河加茂郡の農民、足助町・拳
母城下でうちこわし。全国飢饉、奥羽
地方もっとも甚だしく、死者10万人に
およぶ
天保八年 凶 大阪で大塩平八郎の乱起こる。大阪・
兵庫で米価騰貴のため うちこわし。備
後三原町で うちこわし起こる。幕府御
救小屋を江戸の品川・板橋・千住・新
宿に設け飢民を救済する。この春、
諸国飢饉、餓死多数
天保九年 大凶 佐渡一円の農民、奉行所の悪政を巡見
使に訴え、8月各地の問屋・富豪を うち
こわす。 尾形洪庵、大阪に 滴々齋塾を
開く
天保十年 凶 幕府、渡辺崋山・高野長英らを捕え
る。この春、京都で豊年踊り流行。こ
の年、奥羽飢饉、死者・流民多数
※『津軽』より一部を抜粋
太宰治の生家「斜陽館」に泊まる
「斜陽館」には、幸運なことに二度泊まることが出来た(外観の写真を
撮ろうとしたが、どうにも絵にならないので止めてしまった)。津軽で
は旅行者などは、夏まつりの季節以外には見たことが無かった。それな
のに「斜陽館」に泊まるには、予約なしでは難しかった。初めて泊まれ
たときは、二階の南側にある素敵な部屋だった。窓際に蒸気暖房用のラ
ジエーターがあったのには感激したものだ。おかげで身も心も暖かく朝
を迎えることができた。
宿泊している顔ぶれは若いグループが多かったように思う。金木町を訪
れる理由は、太宰のファンか、あるいは「斜陽館」に泊まってみたかっ
た、ということだろう。
「斜陽館」には、一階の玄関を入ると右手にバーカウンターがあった。
お酒は飲まなかったので、宿泊手続きを済ませると暖かい紅茶を飲んだ
覚えがある。
ところで金木町出身の著名人には、太宰のほかに歌手の吉幾三がいる。