兼好法師と清少納言のちかさ

 

 兼好法師清少納言の『枕草子』を読んでいた?

 

f:id:sasurai1:20200215144715j:plain

京都御所・紫宸殿

 

 

"さて、人がこの世に生れてきたからには、

当然だれでも願うことがいろいろあるよう

だ。まず身分についていうなら、天皇の御

位などは話題とするのもおそれおおい。

 

 

f:id:sasurai1:20200215144737j:plain

 

 

ところで、法師くらい、うらやましく

ない者はあるまい。彼らについて、

「人にまるで木の切れはしのように思

われていることよ」と清少納言が書い

ているのも、ほんとうにもっともなこ

とだ。

 

 

f:id:sasurai1:20200215144803j:plain

 

 

かといって、声望が高く、世間の評判

になっても、それですばらしいとは思

われない。増賀ひじりが言ったように、

出家者にとって名声は無用の束縛であ

り、仏のみ教えに背くことだろうと思

われる。むしろ、まったく世間を超越

して修行にはげむ遁世者のほうが、人

から無視されるが、かえって好ましい

ものを持っているだろう。"

徒然草』第一段

 

 

f:id:sasurai1:20200215144834j:plain

 

 

「思はん子を法師になしたらんこそ心苦しけれ。

ただ木のはしなどのやうに思ひたるこそ、いと

いとほしけれ。」…『枕草紙』

 

平安のむかしには、法師というものは情けを解

さぬつまらぬ人間と思われていたようである。

清少納言はつづけてこう述べている。


「精進物の、たいそう粗末な物を食べ、寝るこ

とまでとかくいわれる。いくら法師でも若い者

は好奇心もあろう。女などのいる所だって、ど

うして忌み嫌ったように少しも覗かないでいら

れよう。しかし、そうしたことも世間の人は、

とんでもないことと非難する。」


【思はん子を法師になしたらんこそ】

 

 

 

日本の随筆は『枕草子』が始まり

 

日本の随筆はこの草子に始まった。『徒然草』や『方丈記』も

枕草子』が無ければ生まれてはこなかった、と言っても過言

ではないだろう。兼好法師は当然として、紫式部も『枕草子

を読んでいたか、その内容を知っていたふしがある。『紫式部

日記』のなかで「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける

人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく

見れば、まだいと足らぬこと多かり。」つづけて、風流を気取

ったひとは行く末は異様なばかりにになってしまう、と清少納

言の晩年の姿を知っているかのように書いている。

 

清少納言紫式部の間には面識は無かったように思うが、紫式

部の日記を読みとくと清少納言にライバル心を持っていたよう

にも見える。

 

※驚くことに『枕草子』は『徒然草』や『方丈記』の二百年以上前、

モンテーニュ『エセ―』の五百年以上前)には、すでに書かれて

いたのである ^ ^