"さて、人がこの世に生れてきたからには、
当然だれでも願うことがいろいろあるよう
だ。まず身分についていうなら、天皇の御
位などは話題とするのもおそれおおい。
ところで、法師くらい、うらやましく
ない者はあるまい。彼らについて、
「人にまるで木の切れはしのように思
われていることよ」と清少納言が書い
ているのも、ほんとうにもっともなこ
とだ。
かといって、声望が高く、世間の評判
になっても、それですばらしいとは思
われない。増賀ひじりが言ったように、
出家者にとって名声は無用の束縛であ
り、仏のみ教えに背くことだろうと思
われる。むしろ、まったく世間を超越
して修行にはげむ遁世者のほうが、人
から無視されるが、かえって好ましい
ものを持っているだろう。"
…『徒然草』第一段
「思はん子を法師になしたらんこそ心苦しけれ。
ただ木のはしなどのやうに思ひたるこそ、いと
いとほしけれ。」…『枕草紙』
平安のむかしには、法師というものは情けを解
さぬつまらぬ人間と思われていたようである。
清少納言はつづけてこう述べている。
「精進物の、たいそう粗末な物を食べ、寝るこ
とまでとかくいわれる。いくら法師でも若い者
は好奇心もあろう。女などのいる所だって、ど
うして忌み嫌ったように少しも覗かないでいら
れよう。しかし、そうしたことも世間の人は、
とんでもないことと非難する。」
…【思はん子を法師になしたらんこそ】
日本の随筆は『枕草子』が始まり
『枕草子』が無ければ生まれてはこなかった、と言っても過言
を読んでいたか、その内容を知っていたふしがある。『紫式部
日記』のなかで「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける
人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく
見れば、まだいと足らぬこと多かり。」つづけて、風流を気取
ったひとは行く末は異様なばかりにになってしまう、と清少納
言の晩年の姿を知っているかのように書いている。
部の日記を読みとくと清少納言にライバル心を持っていたよう
にも見える。
※驚くことに『枕草子』は『徒然草』や『方丈記』の二百年以上前、
(モンテーニュ『エセ―』の五百年以上前)には、すでに書かれて
いたのである ^ ^