さる年の五月も下旬だったか、仙洞御所の前を歩いていると
「拝観空き有」の表示が出ていた。観光シーズン中は二か月
は予約が取れないのだが、シーズンを過ぎたとみえ、空きが
できたようだ。
たまたまだが、ポケットの中にはビスケットが一つ…じゃなく
って、Sony RX100と身分証明書も入っていたので難なく御所
へ入ることができた。
天皇皇后両陛下がお泊りになる御常御殿は、内部が洋風に
改造されているという。正面の南庭には白梅、紅梅のほか
に竹、松もあることから「松竹梅の庭」とも呼ばれる。
松竹梅の庭を通り抜け、御庭口門をくぐると、そこには夢の
ような広々とした庭園がひろがる。正面の池が北池で、写真
では表せない大きさである。
北池の苑路を時計回りに歩むのだが、一時間という時間制限
があるので忙しない。液晶モニターなんぞ見て写真など撮っ
ておれません!
「仙洞御所の庭はその松林の東側に大きな池を中心にして広がり、
その北の女院御所の庭園の池と掘割でつながっている。南池と呼ば
れるものが仙洞御所の池であり、北池が女院御所の池であったが、
今は南北を含めて仙洞御所の池であり、庭園である。
いま、仙洞御所の庭園には、北池西岸に又新亭(ゆうしんてい)が
あり、南池南岸に醒花亭(せいかてい)があるだけで、鑑水、釣殿、
橋殿といった茶亭はわずかに礎石の一部をとどめるだけである。そ
れがかえって庭園を広くしており、八つ橋に藤棚が架せられて南池
の視界を分割してしまった補いになっているのかもしれない。」
……庄司成男著『京都御所・仙洞御所』より
粒ぞろいの州浜の玉石は小田原海岸で集められたものという。
写真右上に醒花亭が垣間見える。
藤の花が咲くころには、さぞ見事な景色が眺められるであろう。
関白 藤原道長邸
「秋の気配が立ちそめるにつれ、ここ土御門殿のたたずまいは、
えもいわれず趣をふかめている。池のほとりの樹の枝々、遣水
の岸辺の草むらが、それぞれ見渡すかぎり色づいて、秋はおお
かた空もあざやかに見える。それら自然に引き立てられて、不
断の御読経の声々がいっそう胸にしみいる。
やがて涼しい夜風の気配に、いつもの絶えせぬせせらぎの音、
その響きは夜通し聞こえつづけて、風か水かの別もつかない。」
……『紫式部日記』彰子出産の秋
藤原道長邸は現在の仙洞御所付近にあったと伝わっている。
北池がかつては藤原道長の庭だった、と妄想するのも楽しい。
仙洞御所の東には壮大な規模の法成寺があった。その寺院の建立
に道長は精力を傾けたようだ。
極楽往生を願い、法成寺の西に九体阿弥陀堂を造り この世を去る
にあたっては、西方浄土を願いながら往生したかったのだろう。
壮大な法成寺の伽藍もたび重なる火災や兵火で今はその影もない。
醒花亭は南池の南側に位置し、北向きに建つ茶室である。
杮葺きの数寄屋造り。四畳半の書院には斬新な意匠が見られる。
大きな丸窓からは北池が望める(一周して御庭口門に戻ってきた)。
四つ目角垣で囲われ、茅葺きと杮葺きの二種類の屋根を持つ。
明治の中頃に近衛邸から移築したもの。
皇族の方々はこの門より仙洞御所に出入りするようである。
「仙洞御所がこの地に最初に営まれたのは寛永4年(1627)のこと
で、後水尾天皇が譲位された後の御所として東福門院の女院御所と
ともに造営されたのに始まる。作事奉行は小堀遠州であった。」
…『京都御所・仙洞御所』より
御殿と池庭との間には塀があったことがわかっている。つまり、
この広大な庭園は御殿から眺めるというようなものではなく、塀
をくぐって庭園に出て、舟を浮かべ、茶を喫し、宴を催したもの
であるという。
※以前撮影したものを編集しました。お楽しみいただけたでしょうか?
宮内庁ウェブサイトより
京都御所通年公開並びに京都仙洞御所・桂離宮及び修学院離宮の参観の休止について
標記のことについて,新型コロナウイルス感染拡大を防止する観点から,
4月8日(水)から当面の間,京都御所通年公開並びに京都仙洞御所・
また,この期間中は,京都仙洞御所・桂離宮及び修学院離宮の新規の事前
申請の受付も休止いたします。