紅葉の光悦寺を訪ね、洛北・鷹峯芸術村に琳派を想う

 

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お土居

ようやく鷹峯に取りついた。山側には豊臣秀吉が築かせたという「お土居」が残っている。お土居の向うにある山が鷹峯三山のようだ。このあたりは“ブラタモリ”でも紹介されていたので記憶のある方もいることだろう。当時の石積なのか、それが結構残っていて賢固な造りだったように見える。
鷹峯といえば都の北の外れ、こんな遠いところにまで土塁を築いていたのだ(中国の城壁と比べるのはマツガイかも^^)。

 

 

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お土居

 

 

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鷹峯の民家

軒が大きくせり出していることから、農家の造りだろうか。鷹峯の民家には、
市中の民家と違い “ばったり床几” は見当たらない。 

 

 

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老舗の醤油屋さん

 文化二年(1805)創業という。こちらの醤油を一度買いに来たことがある。ブラタモリでは醤油の仕込み桶の中を覗いていた。昔ながらの製法のようだ。

 

 

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正面から撮影

 

 

 

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鷹峯街道(国道31号線

この道は 周山に抜け、日本海へ出る街道なので結構交通量が多い。昔は山賊の出る物騒なところだったようだ。都の北の交通の要衝でもあった。

 

 

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源光庵

 紅葉の名所であるが、現在本堂改修工事の最中で、令和三年十月頃までは
拝観できない。

 

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遣迎院

源光庵のはす向かいにある寺。備中高松城の城門を移築した門のようだ。結構この辺りは寺院が多い。光悦が土地を寄進したという常照寺も近くにある。

 

 

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鷹峯民家

 

 

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光悦寺入口


光悦村(芸術村)あらわる?
ようやく光悦寺に着いた(ここまで徒歩で二時間余り)。

光悦が晩年に住んでいた鷹峯は、徳川家康から元和元年(1615)に拝領したところで、 “本阿弥一族および友人、職人らとともに移り住みました。そこでは光悦を中心として感性豊かな創作活動が展開されたことから、後に「光悦村」と称され、芸術村として広く知られるようになりました。”と 府のホームページで紹介されている。 

以前聞いた話では、家康は「光悦がのんびりと過ごす土地をさがしている」という話を人づてに聞き、鷹峯を与えたとか? 都の北から敵が襲ってきた場合には本阿弥一族が防御にあたる、という意味もあったのかもしれない。

 

 

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光悦寺参道

モミジの葉が赤く色づき始めていた。紅葉が盛りの頃は、参道での写真撮影は“禁止”されていた年もあったようだ。ガードマンが人の流れを整理をするほどの人出らしい。

 

 

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山門(日蓮宗

 

 

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石畳が続く

 

 

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鐘楼の手前まで来た

 

 

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 夕方だったせいか、境内には入れなかった。雪の降るころに再訪するとしよう。
なお 光悦の墓は境内の中にある。

 

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石畳がきれいだ

日も陰ってきた。そろそろ帰るとしよう。 

 

 

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山 門

 

 

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寺の背後には鷹峯三山


本阿弥光悦とは何もの?
琳派の祖と言ってもよい本阿弥光悦は、どういうわけか尾形光琳・乾山兄弟の陰に隠れてしまった感があることは否めない。
光悦と聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。刀剣鑑定士、能書家、画家、工芸家、陶芸家などなど たくさんの肩書が思い出される。わたしの好きな光悦の作品は第一には蒔絵の「
舟橋蒔絵硯箱 」である。実物を前にしたときには、その独特の蓋の形に圧倒された。誰があのような極端な反りを思いつくだろうか、誰が鉛の板を漆器(蒔絵)に用いるだろうか。派手で大胆だけれど美しい。欲しい! と思わせるものがある。

この形は北大路魯山人でも思いつかなかったことだろう。この硯箱の蓋のかたち(極端なまでの盛上り)は、鷹峯の山をモデルにしたのではないだろうか、と陶芸家バーナード・リーチは『日本絵日記』に記している。リーチは
乾山の陶に心酔し、六代乾山の弟子になった。そしてこの地を訪れている。



第二には 茶わんである。鷹峯でもよい土があったようで、陶器を焼く窯を築き、楽焼の吉左衛門常慶や その子・吉兵衛(のんこう)から茶わんづくりを教わったようだ。
ある人は 陶磁器に求めるものは品格だという。わたしもそう思う。いつのころからか、そう考えながら陶磁器を見てしまう習慣ができてしまった。価格ではない。他人の評価でもない。

おっと脱線してしまった。茶わんに戻ろう。光悦作の白楽茶わんに「不二山」がある。工芸家の人格はその作品に現れる、そう思わせるものがある。それが「不二山」である。見ただけで人を畏怖させるような厳しさを備えている。気迫がこもっている。刀で胴をそぎ落としたような鋭角な感じがある。とても手びねりでこさえた物とは思えないのだ。

「不二山は、もともと白楽茶碗をつくるつもりだったらしいが、焼成中に窯のなかで下半分が窯変して炭化したらしく、上半部は白楽に下半部は鉛黒色に焦げ、偶然に思わぬ効果が加わって、光悦が考えもしなかったものが出来上がった。しかもそれはあたかも霊峰富士山を連想させるような趣であり、また光悦としても二つと出来ない茶碗と思ったのであろうか、その箱の蓋表に光悦の自筆で「不二山・大虚庵」と書きつけされている。」
※『日本の美術』 (№14) ― 茶碗より

「不二山」が出来たのは偶然らしい。吉兵衛は耐火温度の高い窯を発明したというから、その窯で焼かれたのかもしれない、と想像がふくらむ。“八瀬の仙人”石黒宗磨なら「こら あかんわ」と言ったかどうだか知らんけど、不本意な作だと言って縁の下に投げ込んでいたかもしれない。風流を地でいっていた仙人は、『不二山』を見てどう思っただろうか?

 

 

 

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下校時間にしては遅い時間?

 

 

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農家風の家が見える

 

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源光庵漆喰塀

 

 

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京都市街が望める


想像の鷹峯はどこに?
鷹峯は市内と比べ標高の高い位置にある。意外にも農家は二三軒しか残っていないように見えた。第一農耕する土地がわずかしか残されていなかった。三十年前には趣のある家が多く残されていた記憶があるのだが、今は新興の住宅地と化し、単身者向けのアパートがあふれていた。モダンな造りの新興ホテルまで出来ていたのにはびっくり。光悦の思い描いた「芸術村」はどこにいったのだろうか。

 

 

 

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上京の家

 

 

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小川通りの夕(表千家

上京区まで戻ってきたころには 日は落ちていた。 

 

 

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光悦屋敷跡までもうすぐ 

 

光悦村の名残り
光悦ゆかりの地、それに鷹峯をめぐる五時間の徒歩の旅であった。半日飲まず食わずで自宅に戻ったころには相当疲れが出ていた。写真撮影となるといつもこうなのだ。昼飯を食べる時間がもったいないのである。

旅の土産には、鷹峯で買った九条ネギと農家の庭先に生えていた小さな柿。虫に食われたような表面が黒ずんだ柿、これが実に美味いのだ。取れたての野菜は農家の玄関先で台の上に広げて売られている。むろん無人! 代金はというと、空き缶が無造作に置いてあるのでその中に入れる。つり銭が欲しければその中から取る。缶の中を覗いたら数百円が入っていた。お金を盗む者などはいない、ということか。これが光悦村の名残りだろうか。光悦は後々まで観音様に喩えられていたと伝わっている。村には いまでも日蓮の教えが伝わっているのだろうか。

※諸先生のお名前に敬称は省略させていただきました。



 

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