藪医師竹斎-伏見稲荷大社で嫁とバッタリ出会ったコワ~イ話(今昔物語風に)


前口上
えー近年マスク美人てぇ言葉がはやりましたな。そして
古いことわざに「よめ とほめ 笠の内」
というものがあります。
分りやすい文に直すと「夜目 遠目 笠の内」と書くんですな。今のご
時世でいうなら「マスク美人」
ということでっしゃろか。今日お話しする京の藪医師・竹斎先
生、実はコレで大きな失敗をやらかしているんですな。


 

今は昔…二月の初午(はつうま)の日は、昔から京じゅうの上中下の多くの人が、稲荷詣で
といって、こぞって伏見の稲荷社に参詣する日である。






 

ところで、例年より参詣人が多く出た年があった。その日京に住む藪医師竹斎は弁当、
酒などを召使の睨み之介に持たせ出かけたが、中の御社近くまで来ると。参る人帰る人
がさまざま行きかう中に、すばらしくきれいに着飾った女に出会った。濃い紫のつやつ
やした上着に、紅梅色や萌黄色の着物を重ねて着て、なまめかしい様子で歩いている。

女は竹斎がやってくるのを見て、小走りに走って木陰に身を隠すのだった。目ざとく
その姿を見つけた竹斎は元来女好きの男だったので、ひょっとしたらワシに気がある
のかな、などと思い女のそばに立ち止まり、半ば笠に隠れた女の顔を覗き込むが、女
は扇で顔を覆っているのでよく見えない。竹斎は大胆にもからだをすり寄せて口説き
出した。



すると女は「奥さんをお持ちの方が行きずりの出来心でおっしゃることなど、きく人が
おかしいわ」と言う。その声はじつに可愛らしい声色だったので、竹斎は心底参ってし
まった。
そこで竹斎は「おっしゃるように つまらない女房はいることはいるけど、そいつの顔は
猿そっくりで、しょっちゅう小言はいうし、怒ってばかりいるので、いっその事別れよ
うかと思っているんです。でも飯をつくる者がいないと困るので、もし気に入った方に
出会ったら、そちらに乗り替えようと考えていたんです」と調子のよいことを言う。



女は「それはまことのことですか、ご冗談をおっしゃっているのですか」と尋ねる。
竹斎は「このお社の神もご覧になってます、長年願っていたことですよ。こうして
参詣した甲斐あって、神様がお授けくださったかと思うと、本当にうれしくてなり
ません。それであなたはひとり身でおいでですか。どこの方なのですか」とたたみ
かけるように尋ねる。


女はその問いにこたえて「わたしはこれといった夫はおりません。前に宮仕えをし
ていましたが、夫がやめるように言ったのでやめてしまいました。その夫も田舎で
亡くなってしまいましたので、ここ三年ほどは、頼みにするお方があればと思い、
このお社にもお参りしていたのです。本当にわたしに好意をもってくださるなら、
わたしの住まいをお教えしましょう。……いえ、いえ、でも、行きずりの人のおっ
しゃることを真に受けるなんて馬鹿なことですわ。早く行ってくださいまし。わた
しも失礼します」




と言って、さっさと行ってしまおうとするので、竹斎はあわてて手をすり合わせて
額に当て、女の胸のあたりに頭をくっつけんばかりにして、「五柱の神様、お助け
ください。こんな情けないことを聞かせてくださるな。今この場からあなたのお宅
にまいり、自分の家には二度と足を踏み入れますまい」と言い、頭をたれて拝み入
る。すると女は竹斎の髪の毛をむんずとつかむや、竹斎の頬っぺたをアントニオ猪
木ばりに「闘魂注入ビンタ」をくらわすのであった。

「な、な、な、何をなさる!!」竹斎は思いがけないビンタに吹っ飛ばされながら
女の顔を仰ぎ見ると、な、な、何とそこには自分の妻の顔があるのだった。竹斎は
あいた口がふさがらず「おまえ気でも狂ったか!?」と言うと、「あんたこそ どう
してこんな恥知らずなことをするの。油断も隙もない男だね。今日からはわたしの
所に来ようものなら、このお社の神罰を受けることになるよ。この恥知らずめが!」
と、わめくわめく。

そして竹斎は、「そんなにいきり立つなよ。俺が悪かった、わるかった」と土下座
して、頭をいく度もぺこぺこと下げるのだったとさ。
マスク顔に失敗した わたくし事竹斎でした^^;



嫁と御狐様はコワイ!



※参考文献『今昔物語集』稲荷詣より(小学館発行)