だいぶ以前のことだけど、京都の老舗ジャズ喫茶"ブルーノート"で気持ちよくタンノイ
から流れる音楽に酔いしれていると、隣の席に座っている観光客らしい若い女性から金
平糖(こんぺいとう)をいただいたことがあった。
それは大粒の金平糖で、ポリエチレンの袋に入っている駄菓子屋などでよく見かけるも
のであった。何個か食べているうちに、あの金平糖の触覚のような出っ張り(角)はど
うやってつくるのだろうか、なぜあのような形になったのだろうか、という疑問がわい
たのであった。
金平糖はどうやって造るの?
その疑問は、ある時金平糖をつくっている菓子屋さん(漫画「美味しんぼ」で紹介されていた)の説明を聞いてなるほどと思った。でもなぜ触覚みたいな角が金平糖のまわりに沢山できるのか、そこがもう一つ判然としなかったのである。
ご存じ井原西鶴、この男いろんな事に関心があったと見え、金平糖の製法についても論
究している。長崎へ行き調べたというより、おそらくは京の都か大坂あたりで菓子屋な
どから聞いたことを書いたのだろう。その文をちょっと紹介してみると…
"ポルトガルから渡来した"金平糖の製法を、いろいろ研究してみたけれども、どうしてもうまくゆかないので、唐目の秤目の一斤、すなわち百六十匁(もんめ)の金平糖を銀五匁ずつで買いととのえていたものだったが、近年それが大分安くなったのは、長崎で女の手わざとして造り出すようになり、今では上方でもこれを見習って造り、世間にひろまったからである。はじめのうちは京都の菓子屋がさまざま苦心したが、ゴマ一粒を種として、こんなものができることがわからなかったのである。
これをはじめに思いついたのは、長崎に住むひとりの貧しい町人であった。二年あまりも金平糖の製法に苦心して、中国人にも尋ねてみたが、まったく知っているという人がいなかったので、悩んでいた。実直な人が多い他国でも、よいことは深く隱すものと見える。
男は「…この金平糖も、種のないことがあろうか。ゴマに砂糖をかけてだんだんまろめていったものなのだから、第一にゴマの仕掛けに秘密があるのだろう」と考えついて、まずゴマを砂糖で煎じ、幾日も干し乾かしたあと、煎り鍋に蒔いて並べると、温まってゆくにつれて、ゴマから砂糖を吹き出し(??)、自然に金平糖となった。
ゴマ一升を種にして、金平糖二百斤になった。(男はこの方法で金平糖を造り、一年もたたないうちに、銀二百貫目を稼ぎ、後にはこれを真似して、どの家でも女の仕事としたので、これを発明した男は菓子屋をやめて小間物店を出し、さらに商才を発揮して商売にはげみ、その一代のあいだに銀千貫目持ちの長者となったとさ)"
上の文は『日本永代蔵』ー「廻り遠きは時計細工」より引用。
この男の方法で金平糖が出来たなら手品じゃん? とても科学的とは言えないなあ(笑)。西鶴先生 おかしいとは思わなかったのだろうか。
漱石の教え子 寺田寅彦が語る「西鶴と科学」
寺田寅彦は多方面に才能を持っていた人で、彼の全集のなかには文芸作品と科学論文が
たくさん入っている。漱石のグループのなかでは先ず筆頭格といったところのようだ
(和辻哲郎なぞはそのグループでは末席に名を連ねていたらしい。『吾輩は猫である』
に出て来る水島寒月という人物は寺田がモデルだったという。その寺田が漱石に話した
科学の内容が「猫」の小説には度々登場していたとか。漱石は科学論文をかなり消化し
ていたというから、寺田の後輩たちは漱石の頭脳に驚いたらしい)。それでは本題へ…
" 西鶴の作品についてはつい最近までわずかな知識さえも持合わせなかった。ところが、ニ三年前にある偶然な機会からはじめて「日本永代蔵」を読まなければならない廻り合わせになった。当時「理研」での仕事に連関して金平糖の製法について色いろ知りたいと思っているところへ、矢島理学士から、西鶴の「永代蔵」にその記事があるという注意を受けたので、早速岩波文庫でその条項を読んで見た。
……読んで行くうちに自分の一番強く感じたことは、西鶴が物事を見る眼にはどこか科
学者の自然を見る眼と共通な点があるらしいということであった。
……徳富氏の「近世日本国民史」の所説を見ても西鶴の態度を科学的と見るという見方
は恐らく多くの人に共通な見方であって自分が今ここに事新しく述べる迄もないことか
も知れないであろうが……
第一に気の付く点は、西鶴が、知識の世界の広さ、可能性の限界の不可測ということに
ついて、かなりはっきりとした自覚をもっていたと思われることである。この点もまた
ある意味において科学的であると言われなくはない。……" と日本の誇る科学者の一人
である寺田寅彦先生は言っております。
線香花火と金平糖の形を物理的興味の対象として取り上げる?
さらに寺田寅彦先生の弟子である中谷宇吉郎という科学者が言うには、寺田先生はこんなことを語っていたようだ。
" 線香花火といえば、いつでも金平糖を引き合いに出すのだが、あれだって良く考えてみると不思議だね。あれは、この頃の小粒の奴は型で作るのだろうが、昔の奴はけし粒か何かを核にして、その上に砂糖を付けて作るんだ。するとだんだんあの角が生えて来るのだから妙なんだ。
一様に発達して行くときには丸くなるというのが、今までの物理学の基礎的の仮設なんだが、それは law of no reason で、どっちの方向にとくに発達するという理由もないから丸くなるというのだ。 それじゃまだ本当とはいわれない。 law of sufficient reason で、ある丸くなる理由があるから丸くなるというのでなくちゃ駄目だ。金平糖はその良い例だと思うがどうかね。
何か僕はこんなことじゃないかと思うね。少し突起の出来た所は早く冷えるから先に固まる。するとそこへ余計に砂糖が付く、それでますますそこが突起する、従って余計に冷えてまた固まるという具合にして角が伸びて来るんじゃないかという気がする。
もっとも角がある一定の長さになると、機械的な力の問題でそれ以上は発達できないのだろう。それで金平糖は大体一定の大きさで一定の長さの角を持つようになるのだろうと思う。誰か数学の達者な人が一つやってみたら、きっと面白いだろう。
…とにかく線香花火でも金平糖でも、外国にないものだから誰もやらないんだ。"
その後理研の先生の研究室で、線香花火も金平糖も予報的の実験がされ、その報告が出たようだ。その研究に興味のある人は、報告書の一部「金平糖の数理モデル」がネットに出ているので調べて見るがよろし。
さて、記録に残っている中で、日本で最初に金平糖を食べたのは織田信長なんだと。1549年ザビエルが来日し日本にキリスト教を伝えたその20年後にルイス・フロイスが信長に謁見し、金平糖を献上したとフロイスの「日本史」の中に書いてあるそうな。ホンマですよ。
さらにいつの頃からか、皇室の慶事の引き出物に金平糖が出されていると言うから、たかが金平糖とは侮れない(令和の時代になっても金平糖は高級品なのである。どうりで店に足を運んでも「品切れ」の金平糖が多いわけだ。店も数十年前と比べたら大きくなっていたわい)。
さらにさらに、以前ヴェネチア人カザノヴァの「回想録」を読んでいたら、恋する女の髪の毛を盗んで、それを核にして菓子店で金平糖を造ってもらい毎日いつくしみながら食べていた、という記憶も蘇った。ありゃチョット違ったかな?