いつかは『源氏物語』を原文で読んでみたい、と思う人は
少くないであろう。私もその一人ではあるが、思いついて
から三十余年、いまだに達成していない。
まずは現代語訳からと考え、書店に行っては、与謝野晶子、
谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴各氏の現代語訳を書棚
から取出しては訳文をちらちらと比較してみたものである。
「晶子の源氏物語は原文にこだわらない自由訳であったの
に対して、谷崎源氏の特色は、原文にできるかぎり 忠実で
あろうとした点」「円地さんはたとえ紫式部の原文には書
かれていなくても、私ならば、こう書くと 思ったところは
自由に加筆されています」と寂聴さんは言っている。
寂聴さんの訳文で、試しに“宇治十帖“を読んでは みたもの
の、読みやすいけれど印象のうすいのは私の読解力の足り
なさに原因がある?
私は、原文の雰囲気を残しているものをという観点と訳文
の格調の高さから谷崎潤一郎氏の訳を選んだ。そして読み
進んだのであるが、原文の雰囲気を残している、格調のあ
る文体とはいっても、これはまるで“原文” を読んでいるに
等しい。谷崎潤一郎訳の現代語訳があればそれも欲しいと
思う始末である。
ということで谷崎潤一郎訳を幾度も挑戦しているのだが、
未だに現代語訳さえ読破できていないのである。『平家物
語』や『水滸伝』のように、読み進むごとに“血湧き肉躍る”
という訳にはいかなかったのである。『源氏物語』は最初
の巻から読まなくても良いという訳者の方もいるので、興
味のある巻から読み進むこと にしよう。
世間では「桐壺源氏」(隠公左伝)という諺があるようだ、
三日坊主にならぬよう気を付けよう ^^
石山寺とは
石山寺は天下に名を轟かせる古刹である。
石山寺と聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。
国文学の好きな人は、真っ先に紫式部が『源氏
物語』の着想を得た寺であることを思い出すで
あろう。西日本に住む人は西国三十三所観音霊
場第十三番札所でもある観音信仰の寺を思い浮
かべるのではないだろうか。
奈良東大寺別当良弁僧正が創建した寺、懸造
(かけづくり)の本堂、奇岩、その美しさから
誰をも魅了させずにはおかない多宝塔、月見亭
から眺めるとうとうと流れる瀬田川の流れなど
など見所は多い。