神戸の異人館街を散策し そして思ったこと


 ちょっとばかり前のことだけど、「宣言」が解除された翌日に神戸市内を散策してきた。観光という目的もあったけれど、いまや記憶の片隅から消え去ろうとしている、あの大震災を経験して、その後街はどのように復興されたか、という名目をこじつけて…。


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新神戸駅


案内板の少ないのは不親切?
で、新幹線で新神戸駅を降り立ち、さて出口はどっちだ、と駅構内を下に上にと迷いながら、遠回りになったが漸く外に出ることができた。どういう訳か、神戸は国際観光都市と思っていたけれど、色んな電車に乗ってアチコチ移動した経験からすれば、我が住む町と比較すると、道案内版一つとっても観光客に親切とは お世辞にも言い難かった。

 

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異人館


何事も自己責任で!
しかし、日本各地を旅行した経験から言えば、これはかえって目に優しく、耳に優しく、何をするにも自己責任ですよ、と言われているようで、これはこれでいいのかもしれない。駅構内での、観光地で乗るバス車内での、あの五月蠅いほどのアナウンス(音楽)はいったいなんなのだろうか。親切心? 責任逃れ? それとも旅行者を子ども扱いしている? 

むかし上高地へ行ったことがあるけど、夜行列車に乗って駅を降り、早朝上高地へ向うバス車内でのアナウンスほど気に障るものはなかった。ゴミは捨てるなとか、植物は採るなとか、帰りのバス時刻を確認しろ、とか…そんな話が十数分間は続いた。寝不足もあって頭の中はイライラがMaxになり、「ウルサイ!」と のど元まで出かかったが、他の人がそれを言ってくれた。その後車内はしーんと静かになった。


 

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異人館街は坂が多い

 

 

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新型コロナ禍で休業している店が多かった

 

 

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異人館も閉まってる

 

 

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北野天満神社入口

 

 

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小高い山の上にある神社

 

 

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北野天満神社

 

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北野天満神社から望む神戸市内


 福原遷都 
しかしなんで異人館街の一角、それも神戸市内を望める山の上に北野天満神社があるの? その答えは鴨長明方丈記』の一節にあった。

「また、治承四年(1180)六月のころ、突然(京都から神戸に)遷都が行われた。まったく意外な事だった。……特別な理由がなくて、そうやすやすと都がかわるなんてことはないはずだから、今度の遷都を、世間の人が不安に思い、ぶつぶつ言い合ったのは、なるほど、当然すぎることだ。」

北野天満神社は、福原遷都にともない平清盛が設建し北野の地名の発祥となった神社。京都北野天満宮と同じく学問の神様菅原道真公が祀られている。

 

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風見鶏の家(北野天満神社より)



 

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風見鶏の家付近

 

 

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坂の多いことが分かる

 
「そんな時分に、ひょっこりと用事ができたついでに、摂津の国の新しい都にいってみた。土地柄を見たところ、その面積がかなり狭くて、市街の区画もできないくらいだ。北側は山がせまっていて高いし、南側は海が近くて傾斜している。…内裏は山の中にあるものだから、あの木の丸殿というのはこんなふうなんだろうと、ちょっと風変わりで、風流な点もあるよと、皮肉の一つも言いたいくらいだ。

…もともとこの福原に住みついているものは、土地をとられてこまりきっている。新たに移住してきた人は、建築のやっかいさを嘆いている。……同年の冬に、とうとう天皇は京都へお帰りになったという次第だ。」


 

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コロナ禍でなければ…

 

 

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生田神社

芸人さんと有名な女優さんが結婚式をあげたところだけど、SNSによれば その写真は外されたらしい。大震災では無残な姿になっていたが、いまは綺麗な姿に再建されている。 


平清盛はなぜ福原遷都(神戸市)を思いついたのだろうか? 一説によれば中国をはじめとする諸外国との交易を考えてのことらしい。交易をするには、京都は瀬戸内海から淀川・鴨川を上らなければならないので、不便と感じたのだろう。
「平家にあらずは人に非ず」とまで言われ、都には「かむろ」と言われたスパイをたくさん放っていて平家を守っていたという。永遠に続くと思われた平家の時代もわずか二十年で終った。後をついだ源氏の時代もそう長くは続かなかった。そこで諸行無常なんとやらという有名な文句まで誰彼となく言い始めた。

お隣の国の習さんは、マオさんを越え、“権現様” になろうとしているのかな? いくら街頭に据え付けたカメラがたくさんあろうとも、権力の座はそう長くは続かないのではないだろうか。ここであの一節を^^ 

     祇園精舎の鐘の声、

     諸行無常の響きあり。

     娑羅双樹の花の色、

     盛者必衰の理をあらわす。

     おごれる人も久しからず、

     唯春の夜の夢のごとし。

     たけき者も遂にはほろびぬ、

     偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。

 

鴨長明方丈記』 :現代語訳  簗瀬一雄氏

 

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