俵屋宗達「風神雷神図屛風」のもとあった寺 臨済宗建仁寺派 - 正覚山妙光寺を訪ね寺院建築の粋を知る

 


その一風変わった水墨画家との出会いは、観光地としての京都からはちょっと外れた、昭和感たっぷりの西陣の片隅にあるような、そんな環境のなかではモダンなしつらえの喫茶店だった。いつものように散歩をかねたスナップ写真を撮り終えて休憩に立寄ったときだった(この時がニ三度目の入店だった)。

カウンターの隅には先客がひとり、髭をたくわえた年配の男だった。コーヒーを注文し終えると、その男はわたしに向ってやおら「わしとあんた、どっちが年上に見えるかな?」と訊いてきた。この爺さん、なにを言い出すんだろう、誰が見たってあんたに決まってるやろ、と思ったものだ。ところがその男は、きっと自分の方が若い(若く見える)というのである。



妙光寺への道


それから二カ月ほど経って、再びその喫茶店を訪ねた。店のママさんがいうには、昨日あの絵描きさんが来ていたと教えてくれた。なんでも明日まで宇多野の方の寺で美術展を開いているとか。そう言って案内のハガキをくれた。ここからだと10番の市バスに乗り「福王子」で下車すればすぐ会場の寺に行けるという。

そんなら行ってみようかと、会場である妙光寺を訪ねたのがこの報告というか、スナップ写真である(あの建仁寺所有の「風神雷神屏風」は元はこの寺に寄贈されたものだったようだ)。京焼で有名な野々村仁清の墓もこの寺にあることが分った。


妙光寺山門




庫裏を望む
境内に入ると正面には庫裏らしき建物が見えた。
なんだかなあ きれいだけど荒れた様子の境内にも見える。
 



方丈西玄関

寺は通常非公開。この日は四名の美術展があったので無料で公開していた。


方丈南西側より茶室方向を望む



床の間の形と壁の色が珍しい



右に一畳の茶室がある

しっかり炉も切ってあった。二畳の茶室は知っていたが一畳は初めて見る。


書院の廊下

次に方丈に続いている書院に向う。

 

書 院



隣の部屋の壁は真っ黒だ



書院より庫裏の方を望む



建物に囲まれた中央には庭

この井戸には勤王の志士が酔って落ちたという逸話がある。幕末には討幕派の拠点にもなっていた寺だけにそんな逸話があるのだろう。方丈の屋根裏には隠し部屋もあるようだ。


枯山水の庭

苔と砂の間には石が二つ。庭の東西に松と椿の樹が二本。二十年ほど前から、無住だった荒れた寺を建仁寺の僧が手を加えているのだという。写真右側の建物は西玄関。


方丈の縁から庭を鑑賞



室内から尺八の音色が…



虚無僧宗門ゆえ尺八の献奏

正面にはご本尊の釈迦如来


神器之間

説明は省きます…。


小森文雄筆屏風絵

 

ひと通り鑑賞を終えたので外に出よう



ここに居たんだ小森氏



もと妙光寺本堂の山門

明治二十年、建仁寺護国院山門(開山堂)として移築された。



裏山を見学



墓地より門の方を振返る



墓地にしては檀家が少ないのかな?

左から二番目が仁清の墓。


京焼の祖とも言える野々村仁清の墓碑と伝わる

ひっそりとした所で寂しいのでは?


方丈を東方向より望む

妙光寺の歴史はかなり古く、方丈は江戸時代前期(寛永年間)の再建。大部分の建物が戦や幕末の戦い、明治に入ってからの廃仏毀釈で規模は縮小したという。昔あった立派な山門は建仁寺に移築されている。


妙光寺方丈説明板




妙光寺境内の奥には村上天皇
村上天皇陵に参っていこう。




参道わきに無縫塔が見える


開山・法燈国師覚心の墓
妙光寺宗達筆「風神雷神図屛風」を寄贈した "うだ家" の墓はこの付近にあることを後で知った。
写真左の無縫塔は續芳慈胤(住職)の墓



天皇陵が見えた


村上天皇


天皇陵から市内を望む
絵画よりも建物に目が行った今回の遠征であった。
以前、建仁寺を訪ねた時、「風神雷神図屛風」は宇多野の寺にあったもの
と聞いていたが今回訪ねた寺だったんだ。
風神雷神図屛風を寄贈した"うだ家"って、歌にも歌われていた豪商のようです。