源氏物語に出てくる “わらわやみ” とは?
先日 ひさしぶりに『源氏物語』(当然、現代語訳)を読んでいたところ、
光の君の体調が思わしくない、という箇所に出会った。いったいどういう
症状かというと
① 食欲がない。
② 熱が出て、解熱剤を飲めば一旦熱は下がるが、一定の時間になると
再び熱が出る。
③ 体の震えが止まらない。
などの症状が出たようである(筆者の勝手な想像です)。
当時はそのような病がとても流行っていたらしく、瘧(わらわやみ)、疫
(えやみ)あるいはオコリとか童病(わらわやみ)とも呼んだようだ。
その箇所「若紫」のところを読んでみよう。
(源氏が)❝ 瘧病(わらわやみ)をおわずらいになって、いろいろと禁厭
(まじない)や加持などをなさいますけれども、その験(しるし)がなく
て、たびたび発作に悩んでいらっしゃいますと、或る人が、
「北山に、某(なにがし)寺というところに、偉い行者がおります。去年
の夏もあの病気が流行りまして、ほかの行者たちが持てあつかっておりま
したのを、わけなく直した例がたくさんございます。こじらせると厄介で
ございますから、早速お試しなさいませ」
などと申し上げますので、使いをやってお招きになりますと、
「老衰いたしておりまして、足腰が不自由でございますから、室(むろ)
の外へも出ません」と申しますので、
「ではいたし方がない、忍んで行こう」と仰せになって、睦じいものを四
五人だけ供にお連れなされて、まだ暗いうちにお出かけになります。その
庵室のある所へはやや奥深くはいって行くのでした。❞
※谷崎潤一郎 現代語訳
ここから先は長くなるので端折ります。結論を先に言えば、加持祈祷とそ
れに護符(これって薬か?)を飲んで意外と早く治ったようなのだ。
では当時流行していたという瘧を手元にある辞典(ウイキペディアなんて
使いません!)で調べて見ると…
[広辞苑]
「おこり」に同じ。間歇(かんけつ)熱の一。隔日または毎日一定時間に
発熱する病。多くはマラリアを指す。
[古語辞典]
マラリアに似て隔日または毎日、時を定めて発熱する病気。=わらわやみ
・疫病(えやみ)。(BE社版古語辞典による。子どもが高校に入学する際
購入したものだが、使用した形跡はない)。
[言海] (大槻文彦博士が数十年の歳月をかけ明治24年上梓)
隔日に発(オコ)ル故ノ名ト云。古言ワラハヤミ。熱病ノ寒熱、日ヲ隔テテ、
時ヲ定メテ発ルモノ。
一言でいえば瘧とはマラリアのことのようだ。
平安時代、あるいは天平の昔に、蚊が媒介するという南国の流行病マラリア
があったということが、意外に思われる。最後に「日本のマラリア」につい
て述べます。
光源氏 瘧の治療を行う
光源氏は北山の某寺へ出かけ、深い巌(洞窟)の間に籠っていた聖に会う。
そこで護符を飲み、加持などを受けていると大分気分も良くなってきた
(さすがに験がある)。
気持ちの余裕もできたし、周りを見渡すと目ざとく小奇麗な家を見つけ、そ
の中に十歳くらいの女童(めのわらわ)を見出す。女の児は白い下衣に山吹
がさねを着て、成人の後が思いやられる美しい器量をし、ほかの子供たちと
は似るべくもなかった。
その子が若紫であった。その子の顔をひと目見て、光の君は「この子は美人
になる」と思ったのかどうかは分らないが心が騒いだようだ。お供の惟光は、
またまた光の君の、あのビョーキが始まったと思ったであろう。…おっと脱
線してしまった。
そして元気になった光の君は翌日に、都から車を呼びよせ帰っていった。
北山の某寺とはどこ?
さて源氏が瘧の治療のために向った、北山にあるという某(なにがし)寺
とはどこのことだろうか。物語の上でのことだが、興味本位で調べてみた
(単に想像しただけのこと)。
文面から想像するに比叡山や愛宕山ではなさそうだ。まだ夜が明ける前か
ら都を出て、朝の内に寺へ到着しているようなので、徒歩で二三時間、遠
くても四時間と仮定すると鞍馬寺、あるいは雲ケ畑にある志明院、少し遠
いところで高雄の神護寺あたりではないだろうか。
鞍馬の奥には行者の修行の場であった峰定寺(ぶじょうじ)がある。そこ
は近年摘み草料理で有名な料亭美山荘(料理研究家・大原千鶴さんの実家。
かつては修行者の泊まる宿)があるけれど、京都バスで出町柳から最寄り
のバス停まで一時間、そこからまた徒歩で三十分かかるのでそこではなか
ろう。
ヒントは文面にある「闇部(くらぶ)の山」である。 「くらぶの山」とは
近江の国の歌枕だというが、古くは鞍馬山のこともそう呼んだようだ。
それに「つづら折り」を連想させるような、鞍馬山のような風景描写がある。
北山にある某寺とは 鞍馬寺のこと
ということで「くらぶの山」、枕草子にも書かれている「つづら折り」
の雰囲気から察するに、北山にある某寺とは鞍馬寺ということになるよ
うだ。結論を急いでしまったような…まっ いいか、これで良しとしよう。
※物語の仮定の寺のことなので笑って済ませてください。
※追記
仮名草子『竹斎』という江戸時代の滑稽な内容の本がある。京で食い詰めた
藪医師竹斎という人物が、行く先々で病を治しながら東下りをするという内
容である。その治療法がとてもユニークなのだ。
その治療の一つに“おこり”がでてくる。その症状は、①熱がある。②頭痛
(びんのあたりが痛む)。③むね虫あり(胸のあたりが気分悪い?)、とい
う。竹斎が薬をあたえると「おこりは そのままおちにけり」とたちどころに
治ったので、「薬は何ぞ」と問いかければ、「三年になる古畳の黒焼き、四
五年ほどになる ふるがみこ の黒焼き」と答える。
“ふるがみこ”とは旅の必需品である紙子(和紙で作った衣類で暖かく寝巻に
もなるようだ)のこと。芭蕉の紀行文にも出てくるし、芭蕉はわが身を竹斎
にたとえているので『竹斎』は広く読まれていたようである。
ところで肝心なことを忘れる所だった。
日本のマラリア
実は日本には奈良時代以前にすでにマラリアは定着していたようだ。
平安時代の『和名類聚抄』にエヤミ、ワラハヤミとしてその症状が
記されている。
日本は名だたるマラリア浸淫地で、札幌や釧路でも終戦直後まで
マラリア患者が普通にいたようだ。そして驚くことなかれ、琵琶湖を
抱える滋賀県が日本で最も流行度が高かった県で、1948年には全国の
マラリア患者4953人のうち2259人が記録されている。実に45%なの
だ。
彦根市のマラリアは「マラリア対策」の成果が出て、1954年には患
者数がゼロになり、撲滅に成功したという報告(日本医史学雑誌55巻
「風土病マラリアはいかに撲滅されたか」田中誠二氏他)が出ている。
水辺がマラリアの流行地ということか。そのことから考えると、飛鳥京、
大津京、長岡京、平安京と水の豊かな環境であった。運河や川が疫病を
防ぐと考えていたのだが、これは油断していた。遷都の原因は人的原因
だけでなく、疫病も一役買っていたのかも知れない、と妄想が膨らむ。
江戸時代には瘧はそれほど流行せず、その理由は開発が進んで沼沢地が
減ったこと、漢方薬治療(キナノキの樹皮を煎じて飲んだ?)が盛んに
なったことによるらしい。
日本では古くから土着マラリアが存在
日本では古くから土着マラリアが存在していたようだ。「マラリア5県」
と呼ばれる地域があって、それは富山県、石川県、福井県、滋賀県、愛
知県がそうであるという。それは 知らなかったなぁ。
マラリア(疫病)は都市をも滅ぼす?
さらにはマラリア(疫病)の恐ろしいところは、古代ローマ帝国をも衰退
させた原因の一つとされていることだ。
マラリアを新型コロナウイルスに置き換えると、これはエライことですよ。
習さんも、トランプさんも、どこぞの国の鉄面皮宰相(ビスマルク?)な
ども、夜もおちおち寝て居れないだろう。
アフターコロナの世界、想像するのがコワい。